僕とドラゴンクエスト

 

ドラゴンクエストが35周年を迎えた。

 

1986年5月27日に第一作目の「ドラゴンクエスト」が発売されて35年....。
それほどまでの時間が経過してしまった。

 

ドラゴンクエスト」は発売日に手に入れた。

それまで3800円、4500円と値段を上げてきたファミコンのカセットがついに¥5500になって「高い」と感じていた記憶がある。

週刊少年ジャンプでは「ドラゴンボール」「北斗の拳」が大人気であり、当時スーパーマリオの大ヒットで社会現象になっていたファミリーコンピュータの情報を掲載する「ファミコン神拳」なるコーナーが紙面に設けられた。

ドラゴンクエスト」の発売はそのコーナーで大々的に発表された。

シナリオに堀井雄二、キャラクターデザインに鳥山明、楽曲にすぎやまこういち

名だたる豪華キャストでつくるロールプレイングゲームということだったが、当時の自分には「ロールプレイングゲームってなに?」という状態だった。

ファミコン向けのアクションゲームの水準を「スーパーマリオ」が引き上げたのは間違いなかったが、ロールプレイングゲームアドベンチャーゲームというものはまだ登場していないジャンルであった。

ゆえに、製作者たちがみずから執筆しているという奇跡のコーナー「ファミコン神拳」の独占で、ロールプレイングゲームとはどんなゲームなんだ?というところから、ゲームの世界観や物語、制作の過程も含めて、少しずつ少年たちにもわかるように紹介、発表されていったのである。

新宿西口にヨドバシカメラはあったが、当時はカメラ店であり、テレビゲームやおもちゃを扱ってはおらず、テレビゲームは玩具店や、デパートのおもちゃ売り場で販売されていた。
「買ったよ」と友人につげ、二人でドキドキしながら遊んだ記憶がある。

「レベルが上がった!」と、あらかじめファミコン神拳のコーナーで紹介されているとおりのことを、実際に確認しただけで驚愕し、興奮した。
「物語があるゲーム」というのを始めて体感した春であった。

それからすぐに「ドラゴンクエスト2」の発売が、これまた「ファミコン神拳」のコーナーで発表され、また驚愕した。
今度は、仲間が3人に増えるという。
さらに、1ですら広大と感じていたマップが2では、ほんの小さな一部になっていて、さらに後代になっていた。

そのころから、テレビゲームを発売日に手に入れるのが困難になってきていた。

事前にお金を払って予約するという買い方をし始めていたが、「ドラゴンクエスト3」の発売では、そんな買い方をしない連中は、手に入らないことに我慢ができず、恐喝をして横取りをするような事件や、お店の方も、売れないゲームと抱き合わせをして販売するという事件にまで発展した。
さらに、そんなテレビゲームの社会的大ブームと言う現象を目の当たりにしたメーカーたちはこぞってファミコンのゲームの開発に乗り出し、量販店もテレビゲームの販売をはじめ、幾多の情報誌が発売され情報発表が行われるようになった。
テレビゲームのやりすぎで視力を落とす子供たちも続出した(僕もそう)。

目まぐるしく、ゲーム業界が伸びていった時代と、ますますゲームの物語の世界に没頭していったことが、脳の中で絡み合って、忘れがたい体験となって体の中に焼き付いた。今改めて振り返っても、すごい時代をみてきたと思う。

 それから35年がすぎ、ゲーム業界はエンタメ産業のひとつとして不動の業種となっている。

ドラゴンクエストも12作目となり、それが面白かろうが、どうだろうが、あのときの熱い時代を確認するために、やっぱり遊び続けてしまうのである。□