「私がなりたい姿」と、「社会が私に求めている姿」は違う。
極端な話、画家になりたかった。という人が政治家になるというようなケースのことだ。
銀河英雄伝説で言えば、ヤンウェンリーが歴史家になりたかったのに、周りにおされて軍人にされてしまったようなことである。
林修氏が、出版社から求められて、書きたくもない本を書いたら売れるのに、自分が書きたいと思って書いた本が、最も売れなかった。という事実。
アイデンティティは自分で定義するものではない。
社会が、個人のアイデンティティを決定していくのです。
そこに逆らわないほうが「素直」です。
若いうちは「否、俺は、俺の道を行く」でいいと思うのだけど、いくつかやってみたらきっと体感できますね。
人の方が、社会の方が、良く私のことを見ています。
............というところで話は、やっぱり仕事モテしているなら、素直に引き受けてやるべきだと思うのです。社会が「できるあなたにやってほしい」と求めているのだから。
社会のほとんどのこと(というか全部)って、代役がいて、極論、私なんていなくても世界は回っちゃうんです。
「あなたがやらないなら、代わりはくさるほどいる」のが現実です。
それでも社会が私に「やってほしい」というのならそこに応えるべきだと思う。
それを「僕がやりたいのはそんなことではない」とか「めんどうくさい」なんて、チャンスをどぶに捨てているようなものだ。もったいなすぎる。
あなたの持っている能力は、こちらには無い。だから助けてほしい。
という貴重なリクエストに、快く、「手をお貸しします」と応対するべきです。
それが巡り巡って世界を彩って、最後に自分の周りを彩るのだと信じます。
歳を重ねて思うのは、自分が社会に返すより、社会からもらうものの方がどんどん大きくなっていく。返しても返しても恩恵ばかりを受けていると感じる。
たぶん、死ぬまでには恩恵の借金にまみれて死ぬことになるのだろう。と思います。
どんどん返していかないと、借金まみれの地獄に落ちますね。
世の中が自分に与えてくれた期待やチャンスを素直に受け入れて、力を貸して、応えていく。それが人間の生きる目的ではないのか。□