口先だけで強がって見せていた自分。
口先だけで自分はすごいということを、相手に押し付けていた自分。
これを補足すると、
「自分は今はすごい自分ではない。
だけど、これから将来きっとすごくなるからね、
それまでは口先だけですごいと言い切っちゃうけど、
予告なのです。
だから、今は、笑って許して頂戴。待っていて頂戴。」
ということになるのだろうと思う。今思うと。
あのころは、その時点で自分はすごいと思い込んでいた。
そして周りの人々が、そんな虚栄まみれの叫びを黙って聞いてくれていたのは、本当にすごいと思ってくれていたからでは全くなくて、口先だけであることは百も承知知だけど、将来のことを言っているのだ、と許してくれていた。そういう優しさだったのだと思うのです。
成長の前借り。
とでもいうのだろう。
あの遠吠えは、社会的に、なにものでもない、なにもできない若者を、これから成長するまでの間、許しておいてもらう。という時間を獲得する行為だったのだと思うのです。
その時間を獲得した、あるいは前借した若者は、その時間で予告した通り成長をしなくてはいけない。いけなかった。
僕は、成長できなかった。
あれから10年、20年という時間をかけたにもかかわらず、今なお遠吠えをしていた自分は、いまさら何を言っているのだ。という社会の目にさらされ、前借していた時間を使い切ってしまったことに気づいたのです。
もう遠吠えを笑って許してくれる人たちはいない。
それだけの時間をかけて、お前はなにものになれたのだ。といういわゆる借金取りが周りに跋扈していて、今まで逃げていたものを取り返しに来ている。
NHKのプロフェッショナルに倉本聰氏が出ていて、芝居稽古をする若者たちに「今しかないんだぞ!」とカメラの前にもかかわらず、烈火のようにしかっていたのは、僕のような失敗作を世に残さないようにするための強い言葉だったと、今になって気づいたのです。
老婆心というけど、若い時ってのは本当に、先輩の真摯な声に口答えばかりしていて、全然耳を傾けていない。
後悔の連続です。
みんなはどうなのだろう。
自分のことはもう仕方がない。
もう一度、起死回生をはかるべく戦うのか、だましだまし生きていくのかは今はわからないけど、
少なくとも、やっぱり若い人には言いたいな。
今、君たちはただ吠えているだけだ。
それを許してくれる時間は有限で、
それまでに、成長できなかったら、
負け犬人生になってしまうのだよ。
素直。
あれだけ頭にこびりつくほどに教えられたこの簡単で深い一言を、やっぱり僕は実践できていなかったなあ。頑固だったのだなあ。□