レトロゲーム

 

PS4「ラストオブアス2」を終えた。

 

物語については、ネット上でいろいろ賛否両論あるようだが、

アクションゲームとしては、バイオハザードメタルギアのシリーズの目指しているところを継承して、究極までに磨き上げた完成度だったと思う。

敵の気配を読み、背後から静かに近寄り、倒す。

些細な音でも出してしまうと、敵も気配に気づき執拗に攻撃をかけてくる。

遠くから敵の頭を狙い狙撃する。命中すれば即時に倒すことができるが、狙いがわずかにでもそれると、ダメージを受けながらも襲い掛かってくる。

そんな、リアルな戦いがゲームの中にしっかりと作り込まれている。

ゲームもここまできてしまったか。と感慨の想いに浸りながらエンディングを眺めていた。

 

しばらくして、原点とも言える「バイオハザード」をやりなおしたくなった。

丁度25周年を迎えたということでセットが出ており、あの頃の「怖かった気持ち」や「謎解きにドキドキした気持ち」にまた浸りたいとスタートさせたのだが。

 

とても、遊べたものではない。

 

.............なんということだろうか。

固定カメラの切り替えというシステムの操作感の悪さ。

迫ってくるゾンビに銃を向け打ち込むが、カメラが固定されていて狙いが定まらない。

やけくそに打ちまくれば死んでくれるかとも思ったが、胸をいくら撃ってもゾンビは死んでくれはしない。あっというまに弾が切れた。

 

同じく、20周年を迎えたということで歴史的名作「ICO」を再び紐解いたのだが。

こちらも、カメラだ。

バイオハザードから見て、固定カメラではないが、映画監督が決めたカメラアングルとパンが固定されている。そのカメラにさからうように動かすこともできるが、キーを話すと、決められたアングルにカメラが強制的に引き戻されてしまう。

 

そのとき、思い至ったのである。

 

 

「これがレトロゲームなのだ」と。

 

 

自分の頭の中に残っていたのは、当時は最高に磨き上げられた物語の、最も楽しかったシーンの断片である。

操作感の悪さも、当時は最高のものであり、物語やゲームの面白さがそれを覆い隠していたのだった。

だが、今「ラストオブアス2」でたどり着いた、作り手が決めた強制的な映画監督のカメラアングルは撤廃され、プレイヤーが好きなようにカメラを動かせる、そしてプレイヤーの直感に近い精度での戦闘ができる、というシステムを体験してしまうと、もうやすやすと、あのころのゲームに戻ることはできなくなってしまうのである。

 

それでも、それらも全部包含して楽しめる者こそが「レトロゲームマスター」と言われる存在なのではないか。

少なくとも、自分には「レトロゲームマスター」の資格はもはやない、と思い知ってしまったのである...。

 

逆に、今でもなお遊べる、レトロゲームと言うものはある。

たとえば、テキスト型のアドベンチャーゲームなどである。

フラグをたたせるために何度も同じ場所を行ったり来たりするというのが、今ではしんどいかもしれないが、そこは自分は許容できそうだ。

 

時代の進化と共に、手に入れたものもあり、失ったものもある。

そんなことを噛みしめたのである。□