映画「君たちはどう生きるか」

 

一言でいえば、「スタジオジブリの最終問題」。

 

ハウルも難解だったけど、こちらはそれを一部として包含しているくらい難解です。

金色の門の墓、積み木、産屋など、何かの見立てのようなものが次々と作品中に現れるのだけど、理解や解釈が追い付く暇がない。

見終わった後もジェットコースターに乗った直後のような感じで、宮崎駿監督のエッセンスを10倍濃縮でこってりと脳に焼き付けた感じ。

あれはなんだったんだ、と確認すべくパンフレットを求めるが、パンフレットも作られていない。

それほど情報規制する鈴木敏夫氏の徹底ぶり。
なんでもかんでも、説明が付いてくるのが当たり前で考えることを放棄してしまった時代への警鐘として、自分の頭で考えろ。ということなのでしょう。

 

個人的にはこの作品は「絵画」だと感じたので、ネタバレとか説明とかは関係が無いと思いました。見たことをそのまま言葉にしても、何も伝わらない映画です。見て、感じろということかと。

「考える」より「感じる」映画なのだと思う。

 

例えば、ピカソの「ゲルニカ」を言葉にしたってネタバレとは言わない。

「グレーの絵で、牛がいる。女性がいる。」・・・みたいになるけど、言葉をいくら並べても何も伝わらないでしょう。アートは、見て、感じる以外ない。
さらにゲルニカを知りたいならば、ピカソ自身のことを資料で調べて「こうだったのだろうな」と推測する以外に無い。そういう映画だと思いました。
で、多分、宮崎駿監督に尋ねてみても「さあ?自由に感じてください」ということが多いのではないか。ことばにできないから作品を作るのかと思うので。

 

感じるところに四角を描き、丸を描き、感じるところに黒をおき、白をおく。

そういう最近の「自分の感覚に応えて描いていく」という自分の絵画の描き方と、この作品の宮崎駿監督の描き方が、自分の中で勝手にシンクロした。
たぶんとても似たものだと思う。監督も表現者として、感覚に応える描き方を続けてこれが「出てきた」のだろう。
作品のそこがいいとか、あそこが悪いとかは関係なくて、自分にとって、自分が観たいもの、自分が感じたものがそのまま作品に出たということ。

これでいいのだ、と。

そういうことがすっと体の中に入ってきたこと、気づけたことは、この作品を見てよかったと思うし、引退を撤回してまで新作を作ってくれた宮崎駿監督に感謝したい。□