PERFECT DAYS

 

この1年を代表する作品であることは間違いない。

 

ただ、期待していた作品とは若干違った。

 

もっと退屈で、退屈で、退屈で、眠るのを耐えるように2時間を過ごすような映画を期待していたのだ(そういうのを期待するのはおかしいのかもしれないが)。例えば「死霊の盆踊り」のような。

 

朝決まった時間に目覚め、公衆便所の清掃をする。そしてまた眠る。

娯楽も刺激もない、平凡で退屈な日々の映像が、2時間繰り返される。

主人公・平山は、その日常の中に至福を感じ、充実した時間を生きる。

が、視聴者はそのどこが至福で充実なのかを理解できず、首をかしげてしまう。

.....そんな映画を期待していたのだ。

 

そんな退屈な映画を期待していた理由は、

現在の自分の状況と彼の日常とで退屈合戦をして「負けてみたかった」からだ。

 

平山の方が自分などよりも、圧倒的な退屈の中で生きていて、それでいて幸福な日々を過ごしている..........。そういう姿を見せつけてくれたら、今の自分への特効薬になるかもしれないと思ったのだ。足りていないと感じているのは自分に問題があるのだということを気づかせてほしかった。

 

だけど、平山は、退屈どころか、多くの大人たちがうらやむような、充実した毎日を過ごしていた。少なくとも自分にはそう見えた。

 

毎朝近所の庭掃除の音を聞きながら、決まった時間に目覚め、歯を磨き、髭をそり、植物に水をやる。

アパート前の自動販売機で缶コーヒーを1本買って、車に乗り込み、カセットテープで知る人ぞ知る往年の名曲をかけながら、首都高を走り、公衆便所の清掃に回る。

休憩時間は公園で昼食のサンドイッチを食べながら、フィルムカメラで木漏れ日を撮影し現像する。現像した写真の優れたものを箱に残し押し入れに整理する。

仕事の後は、浅草駅の地下のいつもの店でチューハイとつまみを出してもらい夕食を済ませる。古本屋の100円セールで手に入れた文学を読みながら眠りにつく。

休日には歌のうまいママのいる小料理屋でちょっとしたごちそうと歌を楽しむ。

 

多くの人が忙しい日々をおくる中で、見過ごしている多くのものに目を止めて、近しい人たちと、最小限の接点をもって価値のある時間を過ごし、時おり訪れる身内や仕事をさぼりたい後輩から飛んでくる小さな火の粉にも、黙ってほほ笑む。

 

「あ、PERFECTだな」と思った。

 

期待していた退屈な映画とは異なり、映像としても美しく、観るものを飽きさせない脚本になっていたが、結果として、退屈合戦は「引き分け」だったと思う。

今の自分と平山の日々は、たいして変わりがないことであることが確認できて、あ、俺もPERFECT DAYSの中にいる。ということを感じられた。

救いを得たい。という目的は十分に得られたと思う。

 

劇中で流れていた、カセットテープの楽曲の数々は、改めてじっくり聞いてみたい。□