ギフト

大阪への転勤が決まった。


東京での生活を始めてから、わずか2年。
ようやくこちらでの生活サイクルができかけてきたところでまた大阪である。


告知があったときは正直頭の中が真っ白になった。


新しい生活の場に張り始めた「根」をまたも引き抜かなくてはならない痛みもあったが、それ以上に今携わっている仕事の状況を全く鑑みないあまりにも雑な(としか思えない)人事の配置転換に、悔しさ、怒り、悲しみ、痛みといった感情が同時に押し寄せてきてパニックになった。


これから年度末に向け、ようやくこれまで仕込んできた技術を商用展開する!というところで、積み上げてきた全てを取り上げられ、これからはこれまでと全く関連のない仕事に携わっていくことになるのだ。


余命1ヶ月を宣告されたのと同じような衝撃だった。


あと1ヶ月でどうやって仕事を終えろというのか?
俺のやってきたことはそれほどまでに会社にとってどうでもいいことだったのか?
そもそも俺は本当に胸を張ってがんばってきた、と言い切れるのか?もっともっとがんばれたのではなかったか?
そんな感情が入れ替わり立ち代り押し寄せて自分を苦しめた。



そのころ丁度NHKのTRに車椅子バスケットボール選手の京谷和幸選手が出演していた。


ジェフ市原のプロサッカー選手として活躍する中、交通事故で脊髄損傷となり車椅子生活を送ることになるが、以来車椅子バスケットボール選手として新しい挑戦を始めた人である。


番組の中で、京谷氏は事故で両足を失ったことを「一つの出会い」「天からのギフト」であると受け止められるようになった。と言った。
僕は大泣きしてしまった。


世の中には自分の命ともいえる大切なものを失っても、それでも今自分にできることは何か?を問いかけ、問題に向かい合い、前へ強く進んでいこうとしている人がいる。


対し、僕は死ぬわけでもなく五体満足にのうのうと暮らしている。
そして、たかが職場や仕事、生活環境が変わる程度のことに怯え、騒ぎ立てている。
僕は今の自分の度量の小ささを恥じた。本当にがんばっている人に申し訳ないと思った。


もっともっと強く生きていかなくてはならない。


自分に嘘のない、後悔のない日々を生きていかなくてはならない。□