平成漫画論

「イブニング」と「モーニング」の購読を始めた。



年末年始のどたばたの谷間を埋めるためか漫画雑誌を手に取る機会が多くなり、以来すっかりそれが定着してしまった。


この10年ほど無意識に封印してきた漫画熱だったが、やっぱり自分は漫画が好きだったんだなあ、と思い出した。


それにしても講談社の作家層は厚い。


一雑誌の連載枠を20作品として、30作品ぐらいが連載されている。
週刊誌でありながら、作家の制作ペースなどを考慮して、月一連載や、隔週連載を許容していて、思わぬところからひょっこり大物の作品が掲載されたりしている。


作家にとっても、自分の描くペースを保てるし、出版社にとっても多くの作家をかかえることでドラマ化やアニメ化等に始まり営業のチャンスを広げている。


ここ10年で漫画界は、商業性と芸術性を兼ね備えたWIN−WINのモデルがしっかり定着したと言えよう。
新しい時代だと感じる。



10年前に週刊少年ジャンプを読んでいたころは、作家は出版社に飼われる犬のような存在のようだったと思う。


今のような時代を切り開いた存在としては大きく2つの流れがあったように感じる。


まず1つ目は、週刊連載に間に合わず、下書き同然の漫画を載せることを出版側に公に許容させてしまった冨樫義博萩原一至があげられるだろう。
当時ほとんど落書きみたいな原稿が本誌に掲載され、「え!?こんなことが許されるのか」と驚愕した思い出がある。


そして2つ目は、人気がでれば作家が廃人になるまで吸い尽くすという出版社の呪縛から脱獄し、より描きやすいフィールドを模索したアーチストである井上雄彦が挙げられる。


彼らの活躍はまさに前衛的であり、これは作家にとっての権利獲得のための壮絶な戦いだったと思う。


これらの歴史を経て、ようやく作家も職業漫画家ではなくてアーチストとしての評価を得られ、上下関係もなくなってきたのだろうと感じている。
これは読者にとってもいい作品に出会える可能性が高くなったということになる。


いい時代になった。


今後もっともっとすばらしい作品に出会いたいと願う。


ちなみに、イブニングは「少女ファイト」、モーニングは「宇宙少年」がお気に入り。
ブレイクするぞー、きっと。□