「ひねりだす」
という言葉は嫌いではない。
見苦しいとも聞こえなくもないが、尊敬する作家や、アーチストたちの多くを見ていると、みんな「ひねりだしている」のである。
あれらの名作たちが生み出される過程を振り返り、多くのアーチストたちは皆、口をそろえて「ひねりだした」という。
そしてそれらを鑑賞し、楽しむファンたちは、そんな見苦しさもまた作品を彩る一つのスパイスとして、肯定的に受け取っているように思う。
むしろ、そんな「ひねりだす」という無茶な工程がなくては、そんな作品は完成しえないものだし、それができるからこそアーチストへの憧憬や尊敬がさらに増すものだとすら思うのである。□