欲望。

人間って欲しがるよね。

願わくば欲しいものを全部手に入れたい。

でも、欲しいものを手に入れた刹那、

もう次のものを手に入れたいと思ってる。

欲望はいつまでも湧きだし続けている。

手に入るものがある。

手に入らないものがある。

手に入る快感も大切だけど、

手に入らない失望も大切だ。

 

小学生のころ、ビデオデッキもなかった時代、

大好きなジャッキー・チェンの映画を観るには

テレビで偶然放映されるのを待ち続けるしかない。

しかし放映されてもチャンスはその瞬間しかない。

食い入るようにテレビにしがみついて一瞬一瞬を

見逃さないように瞬きすら惜しんで映像を見つめていた。

 

中学生のころ、豊かなコンシューマがなかった時代。

ゲームセンターには大傑作スペースハリアーが登場した。

まるで自分が主人公になったかのように、

ゲームの筐体が一緒に動くという体感ゲームに驚愕した。

当時はゲームセンターへの入場が厳しく禁止されていた。

それでも好きなものは好きなのである。

自宅のファミコンにこの名作が移植されないものかと

日日願い続けた。

腹いせに雑誌BEEPの付録であったスペースハリアー

ゲームミュージックが収録されたソノシート

擦り切れるほどに聴きこんだ。

それでもあの名作スペースハリアーは手に入らなかった。

 

そして今も。欲しいものは手に入らない。

今、才能がほしい。

僕の前を進む優れた先輩作家たちの輝かしい活躍の数々。

僕もその一人になりたい。上澄みになりたい。

あのようにしびれる作品を自分が作りたい。発信したい。

それでも僕は上澄みにはなれない。地面をはいつくばって

上澄みを目指すような鈍くさい毎日をおくっている。

 

いつの時代も本当に欲しいものは手に入らない。

 

でも手に入らないことを悲観してはいない。

 

その乾いた気持ちが、次のクリエイティビティを

生み出している。

いつも願いを持ち、届かない挫折を想いながら続けること。

最早、それでいいのではないか。それがいいのではないか。

 

欲しい。欲しい。欲しい。

見苦しいかもしれないけれど。

それが今の僕の生きる力であり生きる目的なのです。□