ほんもののデザイン。

デザインあ」100回記念スペシャル。

わずか15分の映像に宇宙のような広さを感じる。ほんもののデザイン。

ぼくらは「デザイン」に弱い。
「デザイン」という言葉に合わせて登場する「前衛的な視覚的衝撃」に、いつも圧倒されてしまう。やがて言葉と視覚がセットになって記憶されてしまい、「デザイン」と聞くとなにか身構えてしまって、同時にわくわくする気持ちにさせられてしまっている。いつの間にか僕らは「デザイン」に飼いならされている。

見たこともない建築や写真や絵画や造形。
実はそれらはあまり特別なものではなくて、ふだん目にしているものだったりもする。
だのに、いざつきつけられてみると「はっ」と驚くほど、姿を変えていたりする。僕らはふだん目にしている身の回りの多くが、いかに美しく素晴らしいものであるかを忘れている。「デザイン」はその美しさを思い出させてくれたり、改めて気付かせてくれたりする「装置」なのだ。

だけど、世界の人間をこのように驚かせる「デザイン」を生み出す前衛者の成果に、寄りかかるものがいかに多いことか。
彼らは自らを「デザイナー」と称することで我々が怖れ慄いてひれ伏すことを知っていて、あざとく狡猾にそのステイタスを利用する。だがその実態はハリボテみたいな輩だったりする。
どの世界でも、パイオニアが切り開いたものに寄りかかる傾向はあるけど「デザイン」の世界についてはとくに顕著だと感じています。芸術でありながら商業性をゆるす絶妙な場所に位置付けられてるカテゴリーだからだと思う。居心地がいいんだ、きっと。

ぼくらはだまされてはいけない。
ぼくらもよいものを生み出し、ほんものを見分ける目を持つこと。
それが寄りかかるものにあらがうささやかな抵抗なのだと思う。□