注意の極意

人に注意をするってとても難しいよね。ほんとうに難しい。

注意をされる人は、注意される前は大抵「自分が正しい」と信じている。

注意をする人は、相手が「正しい」と信じ込んでいる事柄を、180度反対方向の「誤り」であることに気付かせなくてはいけない。
しかも、本人の誇りや守りたいものを傷つけず、自然に受け入れられる表現で、心から反省してくれるように伝えなくてはいけない。

「なにやってんだ。違うだろ。」

これは注意ではない。
これでは注意された相手が傷つくだろうし、反省をしてくれないと思うのです。
むしろ「そういうお前こそどうなんだ」みたいに言ったことが跳ね返ってきて、挙句に逆恨みされちゃったりして。言わない方が良かった、なんてことにもなりかねない。
「そうですね。ごもっともです。受け入れます。反省します。」と相手に心から感じてもらえるように伝えなくてはいけない。
そのためには、伝える前に、適切な言い方や言葉を徹底的に探さなくてはいけない。感情は全て排除しなくてはならない。
注意は、あくまでも言う側、言われる側がお互いの成長のために、上も下も無く、同じ目線で、課題を共有するものでありたい。むしろ、そのことを事前に伝えてから、注意するのもよいのかもしれないね。


先日、先輩から電話で仕事のミスを注意をされたのだけど、僕は少し腹を立てて電話を強く切ってしまったのです。
確かに僕のミスだったし、注意された内容については相手が正しかったと思います。
たぶん僕のことを思って行ってくれたんだろうけど、それが僕にはうまく伝わらなかった。
要するに上に書いたような言い方で注意されたのですね。
なるほどなぁ、折角言ってくれたのに、言い方次第では逆効果になってしまうのだなぁと気づいたのです。


「この前みんなで決めた内容とちょっと違うようだね。もう一回打ち合わせよう」とか。

「どうした?いつもしっかりしているのに君らしくないな」とか。

多少の脚色を入れてでも、言葉ひとつでこちらも「ごめんなさい」になれたと思うんだよね。

注意はミスをした直後ではなくて、こちらの感情が収まるまで待って、言葉をじっくり選んで伝えるのがいいかもしれないね。

相手を反省させつつも、さらに「笑い」までいれられたら素晴らしい注意名人になれるんだろうけどなあ。□