構築するもの

人間と人間の関係って「構築」していくものだな。
ということを感じることがあります。

人それぞれがそれぞれの歩んできた人生や、
もちまえの人柄、その時々の肩書や状態を
持っていて、お互いにそれらを持ち寄って
組織の中、社会の中で絡みあっている。

ある人の発言が痛かったり、
ある人の行動が過激すぎたりすることがあると、
ときには対立が生じたりもするけれど、
社会・組織と言う枠組みの中でお互い生きていかなくてはならなくて、なんとか進んでいかなくてはいけない。

そのうちに、お互い、彼にはこの言葉は禁句だとか、
このやりかたはうまくいかない。という互いのルールを
を少しずつ体感して、吸収して、学んで、構築して、はじめはぎくしゃくしていた関係も、なんだかんだで最後になれば落ち着いた状態が出来上がっていたりする。

たぶん、一般的に言う夫婦喧嘩なども同じなのだろうなぁ。
互いが持っている、人生経験や美学や思想をぶつけ合って、同じ空間での共同生活を続けていくための、お互いのやり方、居場所を探し続けて「構築」していくのでしょう。
なんだかんだでそんな経験を重ねて来ると、
ぎくしゃくした空間があったとしても、まあしばらくしたら
有るべき姿に構築されるだろう。と思ってあまりあわてなく
なってきている。

まあすべてがそんなふうにうまく収まるわけではないけどね。
でも構築されていくんだね、世界は。
僕にはあまり力はないけれど、もしそんな渦中にいても、「構築」に
少しでもうまく携われたらいいなと思います。□