補陀洛渡海

和歌山の那智勝浦に補陀洛山寺という寺がある。

世界遺産熊野三山に含まれる小さなお寺です。

いにしえのころから、多くの人々が長い過酷な道のりをたどって、熊野三山を訪れたと聞きます。
補陀洛山寺は、熊野古道大辺路、中辺路が交わる点に位置していて、その歴史的価値から世界遺産になったと聞きます。
だけど実はそれだけではなかったのです。このたび、ぼくは何も知らずにこのお寺を訪れることになったのですが、ここにはとても恐ろしい伝説が残されていたのでした....。


補陀洛渡海。


生きながらにして補陀洛浄土へ行くために、僧侶が補陀洛渡海船に乗り込みます。

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補陀洛渡海をする僧侶が船に乗り込むと、外から釘でふたをされ、30日分の食料だけ与えられ、海に流されたというのです。

これを知ったとき、僕はなんだか言葉にならない恐怖を感じてしまったのでした。

悟りを開くために、自らを火であぶったり、針の上を歩くといった苦行があるという事は知っていました。生きながらにして土の中に埋められて、即身仏となるという修行があることも知っていました。
これらの話を耳にしたときは、修行にはそういうものもあるよな。と、なんとなく理解はしていたのですが。
補陀落渡海は別格です。怖すぎます。
他の修業は、自分の意志でやっているということがなんとなくわかるんだけど、補陀洛渡海は本当に僧侶自らが進んでやったことなのだろうか。「いけにえ」にされたのではないか、と思ってしまったのです。
紀伊半島の南端から太平洋の大海原に、補陀洛浄土をめざし、僧侶が放逐されるのですよ。
30日分の食料が尽き餓死するのが先か、その前に舟が沈没して海の藻屑となって終わるのが先か。
決して生きて戻ってくることはありません。補陀洛浄土だって30日で到達できるような浄土じゃないこともなんとなくわかるでしょう。一生かけても悟りは開けるかどうかなんてわからない。それがわかっていて僧侶はこの船に乗り込んだのだろうか。
太平洋戦争で、魚雷の中に人が入り、敵艦隊に突っ込んでいくという戦法がとられましたが、戦争という枠組みを外したら、この補陀洛渡海もほとんど同じことのように感じます。
勝つことを目的とした戦争と言う歴史的事件の中で、このような痛ましい手段がとられたことにも大きなショックを感じますが、対して、美しい世界へいくためという目的で、生きながらにして海に放逐されることにも、さらなる大きなショックを感じます。
修行のためとはいえ、ここまでやらなくてはならないのか....。
これほどの狂気を孕んだ修行は聞いたことがありません。
三島由紀夫の自決のことも少し思い出しました。

美しさを超えて、もはや恐怖になってしまっている。こんな歴史も日本に残されているのです。この歴史も含めての、世界遺産・補陀洛山寺なのです。

補陀洛山寺の受付の男性が、マシンガンのように熱心に教えてくれました。(通称・DJ補陀洛おじさん)
とても熊野の歴史を深く勉強をしている方でした。
重要文化財秘仏・三貌十一面千手観音像も、御開帳の日ではなかったけれど、特別に開けて拝見させてくれました。

その後、井上靖が「補陀落渡海記」という短編を書いているのを知りました。
僧侶が補陀洛渡海から逃げ出す葛藤を描く短編とのことで、やっぱりな。と思いました。誰でもこわいですよ、ふつう。

熊野を訪れることがあれば、是非、補陀洛山寺に足を運んでみてください(覚悟を決めて行ってくださいwww)。□

 

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