「出そうとしている」
というのと
「出ちゃってる」
というのには天と地の差がある。
「出そうとしている」ものには、どこかに「あざとさ」が見えている。
「出ちゃってる」ものには、本人でも止められない、手段すらも選ぶ間もおしいくらいに出したいという気持ちがあふれちゃっていて、手近にあった、メモ帳なのか、楽器なのか、筆なのか、それとも自分の体そのものなのか。そんな表現手段を、さっとたぐり寄せて、準備もせずにいきなり出しちゃった。というような勢いがある。
多くの作家は、後者のように「出ちゃっている」ものを作りたいと思うのだが、そもそもそんな大きな感動が無かったり、「うまくみせたい」とか「上手に描きたい」とか「はずかしくないものをつくりたい」といった欲望に邪魔をされて、「出ちゃっている」ようなふりをした「出そうとしている」ものを作ってばかりいる。
それは、言い換えれば「不自然」というものである。
残念ながら、自分も「出そうとしている」。
「出ちゃった」という経験はほとんどない。(これまで1度だけそういう経験があるが、もう一度やれと言われてもどうしてもできなかったりする)
ぼくらが日々試みていることというのは、その「あざとさ」や「不自然」な状態を、限りなくPUREにして「出ちゃった」状態に近づけていくという修行なのではないか。
これは仏の教えを学んで、悟りを開くような修行に近いのかもしれない。□