正論と人情

 

「正論」は正しい。

 

正論というだけに、非の打ちどころが無くて、正論を押しつけられたら、ぼくらは黙るしかない。でも、正論どおりにものごとを実践できていることなんてあるのだろうか。

誰かに正論をぶつけている自分自身こそが、正論どおりにものごとをできていなかったりすることに気付いてしまったりして、歳を重ねるにつれて、他人に正論を押し付けたりするなんてことは、易々とできなくなって来ています。

それを埋めるのが「人情」だと思っています。
人ってやつぁ完璧にはできないもんだね。そこはお互い、笑って流しましょうや。という紳士協定のようなものが、正論の挫折から手に入ってくるのだと感じています。

でも、正論をすべて否定するつもりもなくて、やっぱり「正論」はあったうえでの「人情」なんだと思います。

若い頃に行っていたイラスト教室で、安西水丸先生が「君らは早く歳をとった方がいい」というアドバイスをもらったけれど、今やっとわかってきたような気がします。

若い頃は時間も体力もあって、自信にみなぎっているから「僕は絶対に正論どおりにやります!」なんて叫んでいたんだろうな。逆に、歳を重ねてもまだ正論をふりかざしている人もいたりするけれど。


智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。意地を通せば 窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 (夏目漱石草枕」より)

 

たしかに住みにくいものですな、人の世は。□