半分、青い。

手紙。

本屋。

ビデオ店。

スーパー。

レコード。

おとなり。

料理。

ラジオ。

万年筆。

新聞。

黒電話。

伝言板

ぼくが大切にしてきたもの。ぼく以降の人たちが忘れようとしているもの。

ぼくは時代の境界に生きている世代だと思う。

「音楽が好きです」という若者に、どんな楽曲を聴くの。と尋ねたら「雑食です」という答えが返ってきた。
「雑食」ってなんだ。
個人の消費では到底追いつかないほどに、豊かにものがあふれる時代。
若者にとって、すべては「全部」というひとくくりになって「椎名林檎一筋っす」みたいな言葉はもう時代錯誤になってきているのかもしれない。


NHKの朝ドラ「半分、青い」が終わった。


これまでの定石だった「ひとつの目標に向かってまっすぐ進んでいく」という主人公像に対して、「時代の流れを受けながら、次々と新しい目標に向かって方針を変えていく」という、これまでにない新しい主人公像を生み出したドラマだったと思います。

時代の境界に生きる若者を描いたドラマになっていたと思います。

ぼくは、この若さ、新しさというものを、はじめは受け入れることができなかったけれど、これが新しい世代を描く、新しいドラマを目指した北川悦吏子女史の挑戦だと感じ取ったとき、自分でも不思議なくらいに、それまでのわだかまりのようなものが、しかるべき心のポケットにさくっと収納されたような気がしました。

主人公のスズメと律くんの関係も、これまでのドラマではないほどの本当に遠回りだったけれど、このまわりくどさも、これが今と言う時代なんだよなあ、と素直に感じ取れたような気がします。
自由に選択ができる時代になったからこそ、本当に大切なものを見つけることに時間がかかる時代になったということでしょう。

「変わる」って、本当にかっこいいことばで、最近は誰もが口にするけれど、いざ本当に変わるとなると、しり込みしてしまったりします。
これまでの長い時間に積み上げられてきた常識や定石を、わざわざ壊して、新しいものを生み出そうとすることの怖さ、難しさが身に染みているから、挑戦しているというだけでも、充分「すげえ」と恐れ入ってしまうのです。まったくもって、恐れ入りました。
ドラマの中では、いろいろ悲しいことや大変なこともあったけど、それでも前に進まないとな。と感じました。

あー、悪口を書くつもりだったんだけどな。やっぱりプロってすごい。「半分、青い」のは僕でした。□

 

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 今日の語録(番外編)
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「スズメ、律くん、元気だろうか?
 短い手紙を書きます。
 人生は希望と絶望の繰り返しです。
 
 私なんか、そんなひどい人生でも、たいした人生でもないのに、そう思います。
 でも、人には、想像力があります。
 夢見る力があります。
 生きる力があります。
 明日を、これからを、どんなにひどい今日からだって、夢見ることはできます。
 
 希望を持つのは、その人の自由です。
 もう、ダメだと思うか、
 いや、行ける、先はきっと明るい。と思うかは、その人次第です。
 律くんとスズメにはその強さがあると、信じています。」(秋風羽織先生の手紙)