2019ハロウィン 其之二

ゾンビ40周年アニバーサリー。

言葉にするとなんだかまぬけだ。

でも、初公開からもう40年もたってしまったのだと改めて驚いた。

公開当時、小学生だった僕は、なんて怖いものが世の中にはあるのだ、と心底怯えた。

クラスメートが「惑星が爆発した放射能を浴びて死者が蘇ったらしい」とか、どこから聞いたかもわからない適当な話をしていたが、それが今、まったくの嘘でもなかったということを、初めて知ったのである。

40周年記念で、日本公開時のバージョンを劇場で再上映することが決まったようだが、そのチラシを見ると、確かに「惑星の爆発による光線」とある。
クラスメートは自分で見たか、親せきが見たかそのときの真実を僕に伝えてくれていたのである。

2019年のハロウィンをしめくくるためには、劇場でしっかりと40年前の日本版ゾンビを目に焼き付けておかねばなるまい。(「屍荘の殺人」も公開されるし)□

 

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2019ハロウィン! 其之一

 

帰宅途中の道にあるケーキ屋に足を運んぶようになった。

 

毎日である。

色とりどり、美味しそうなケーキがウィンドウに並んでいる。
欲しい。食べたい。だけど、買うわけではない。
ただ、ウィンドウの中にあるケーキをじっと眺めて、ため息をついて、帰るのです。
明日は買おう、とだけ思って。

買いなさいよ!と自分にツッコミを入れる。全くひどい客である。
吝嗇というわけではないのです。ひっぱっているのです。
お寿司やうなぎと同様、ケーキだって究極の非日常なのですから。
ハロウィンの夜に選んで選んで選び抜いたケーキを買って帰りたいのです。
全部美味しいのだろうけれど。その中でも飛び切り美味しいやつを間違いなく手に入れたい。そのために毎日毎日、下見をしているのです。

これまで、ケーキとかデザートというものにそれほど関心を持ってはいませんでした。
なにせ、のんべえですから。
コスパの高い昭和的な居酒屋に入って、吉田類先生のようにべろんべろんになるだけで男たるものしあわせなのです。ケーキの力を借りるまでもありません。そんな風にずっと生きてきたのですが。
ちょっとしたきっかけでケーキ屋さんをのぞいたときに、気づいてしまったのです。

 

「なんてきれいなんだ!」

 

小さな世界の中に宇宙を感じる美学、というのが日本にはあります。

例えば、「盆栽」や「御神輿」「焼き物」などには宇宙のように深い美学が結晶化されています。

神社や日本庭園といった日本的な美を、持ち運べるほど小さな形に切り出して作品化する。小さいからこそ狭いからこそ、そこに詰め込む美術があります。そういうものがとても好きなのです。
偶然ケーキを食べたときに感じてしまったのでしょう。
ケーキも、盆栽やお神輿と同じ「小さな宇宙」なのだと。

それから、毎日のようにケーキ屋さんをのぞくようになりました。
毎日食べる必要はありません。
ただきれいなものを眺めていたい。食べるのは特別な日だけでいい。

そういう世界を絵画世界で表現したいのです。

ハロウィン。ケーキ。
それらが、偶然にも自分が目指している作品のゴールを改めて指し示してくれたのでした。

 

TRICK OR TREAT!

 

ハロウィン、ナイスです。□

 

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夢十夜 Season4 第四夜

 

こんな夢を見た。


外国人二人がふらりと自宅へやってきた。
身長190~200cmくらいですらりとやせたハンサムな二人である。
二人とも、これまで一度も会ったことはない。
どこか観光に行きたいところはないかと尋ねたら「大きなすべり台がある公園に行きたい」と言う。近所にある公園に彼らを連れて行った。
公園には、全長50メートルもあるすべり台がはるか上から降りてきている。
外国人の二人は「OH!」と叫ぶとすぐに、すべり台で遊び始めた。
公園の奥にも更にいくつかのすべり台があった。
しばらく彼らとすべり台で遊んでいたが、気付くとスマートフォンを紛失していた。
自宅に戻ると、スマホは無くなっていないことがわかったが、そのスマホはどこにも見当たらなかった。
ひとまず無くなっていないことだけは分かって、ほっしている。
だが不安は消えない。

近所で氣志團のライブがあると聞いて、その足でライブハウスへ向かう。
横にとても長いライブハウスで左右奥に行くとステージが見えない。
着くや否や、すぐにステージが始まった。
代表曲の「One Night Carnival」で始まるが、ライブハウスには40~50人程度しか集まっていない。
ステージに向かう5列ほどのファンが集まっていたが、左右に広がるエリアはスカスカだ。
その空いているあたりから曲を聞いていたが、「未発表の2曲目聞いてください」と2曲目が始まるが、ファンが集まっていなかったのと3曲目がなかったため、ライブはそれきりで終わってしまった。

2曲目はいい曲だった。でも1曲だけでは氣志團も生き残れないのだな、と思ってなんだか落ち込んでしまった。□

制作日誌

 

バスキア展@森アートギャラリー のメモ

 

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・見るより浴びる感じ。

・夢を模写する感じ。

・全て無題。タイトルをつける暇もない。

・字は結構綺麗だ。

・1枚見て1枚忘れる。

・これが1枚家にあったら?→おしゃれだ。

・カフェに合う。茶室には合わない。

・開放的。気持ち良さそう。自分にとっての開放は何か。

・ボールペン禁止。前衛の展覧会で保守運営。馬鹿か。

・頭にあるものを直接紙に落としている。ヒグチユウコ、山口晃も。

・最初から最後まで全てがクライマックス。習作とか全くなし。

・映画「バスキア」見ねば。

・対話が続く作品。ずっと見ていられる。フランシス・ベーコンも。

・空間と作品がセットになっている。持ち帰ってもだめ。

 

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今日の日本酒

純米酒 黒牛 ひやおろし生詰め
和歌山県海南市/株式会社名手酒造店/7点)


和歌山を代表する銘酒の一つ「黒牛」のひやおろしを入手。

ファーストインプレッションは、甘い。
だけど、ゆっくりと味わううちに、辛くなる。
インディアンカレーか。そういう不思議な深さがある。
ひやおろしという稀有な条件も重なって、秋の夜を彩る楽しい酒となった。□

 

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あのころ ~光る球~

寿司屋だった。

小学生まで、寿司屋の奥の座敷で暮らしていた。

母は店の給仕を手伝っていたから、毎日僕らは、閉店間際まで、店の奥の座敷で過ごしていた。

店が終わるころに晩御飯をいただき、母に連れられ、店から徒歩20分程の自宅に帰って眠るのである。

自宅へ帰る道は暗く、怖かった。

当時はまだ畑や林のような場所がそこらに残されていて、そんな間の暗い細道を母と徒歩で自宅へ向かったのである。


「母ちゃん、あれなんだ?」


帰る道すがら、暗がりの道の向こうに小さな林があった。
林といっても人家の庭の一部だったのだが、その入口あたりの木々の間に、不気味に点滅する謎の球体が見えたのである。

それは直径2メートル程度の巨大な球体で、様々な色に点滅していた。
例えば赤と言っても、どちらかといえば赤というだけで、実際は、黄とか青とかその他にも様々な色が混ざった不思議な色をしていた。

ついては消え、またついては消える。

暗闇の中に、不気味に点滅するそれは、なにか巨大なモンスターの卵が脈動しているようにも見えた。

当時、毎晩必ずその道を通っていたが、その現象を目撃したのは、1度か2度ほどあったかどうかだ。それでも今なお、あの球のことを鮮明に覚えているのである。

最近、改めて母にあの球のことを聞いてみたら、実はあの林の家には芸術家が住んでいて、あの球に限らず様々なオブジェといった作品を発表していたようである。

今の自分を眺めてみると、遠かれ近かれ同じようなことをやっている。

あのときの不思議な光る球のことを思い出すたびに、これから続く人たちの記憶に、鮮明に焼き付くような作品を残したいと、考えたりもするのである。□