制作日記(第10回個展まで56日)

 

山口晃氏のことばを、聞くほぼ日 で聞いていたのだけど、

 

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この第二回目「直感の精度」で、黒澤明監督が七人の侍の着想をもったときのことについて語っている下りが刺さりました。

 

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黒澤明監督が『七人の侍』の着想を得た瞬間というのは。
「自衛のために侍を雇った農村は野武士から略奪されなかった」
という、文献中の一文を読んだときだったそうです。

その瞬間、あの物語が閃いたんですって。
「自衛のために侍を雇った農村は野武士から略奪されなかったという物語」
という、ちいさな塊があるだけの、
あくまで直感的な閃きにすぎなかったはずです。
でも、いちばん「含んでる」んですよね。
その塊は、『七人の侍』のエッセンスを。

そこが、いちばん「豊か」なんです。

ですから、その後の作業、
つまり脚本を描いて、キャスティングして
撮影をして、編集して‥‥という
一連の作業は
その「直感的な閃き」を
3時間半の映画に仕立て上げてゆくための
「つじつま合わせ」でしかない、と。

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作品を作るにあたっての、

「つじつま合わせ」「装飾」「とがらせる作業」・・・といったものって、極論、いらない仕事なんだよな。

多くのイケてない仕事ってのは、いちばん「豊か」なところ「エッセンス」がみつからずに、いらない仕事でそれらがあるように捏造をしようとしてる。

 

怪談を聞くときも、似たようなことを体験することがある。

本当に怖いはなしって、別にプロでなくても、誰が話しても怖いんです。

隣の友人が「ねえちょっと聞いてよ」って一言二言いうだけでも戦慄する程怖い。

それがあるかどうか、なんですよね。それがないものを話し手の話術とか演出で怖いと思わせようとしているのは、もう全然怖くないのです。

 

あるか、ないか。って結局、もう作品になる前の時点で答えが出ちゃってる。

で、それは観る側、聞く側にリテラシーなんてなくても、人間であれば直感的にわかっちゃうことなんだよな。□

制作日記(第10回個展まで58日)

 

「出そうとしている」

 

というのと

 

「出ちゃってる」

 

というのには天と地の差がある。

「出そうとしている」ものには、どこかに「あざとさ」が見えている。

 

「出ちゃってる」ものには、本人でも止められない、手段すらも選ぶ間もおしいくらいに出したいという気持ちがあふれちゃっていて、手近にあった、メモ帳なのか、楽器なのか、筆なのか、それとも自分の体そのものなのか。そんな表現手段を、さっとたぐり寄せて、準備もせずにいきなり出しちゃった。というような勢いがある。

 

多くの作家は、後者のように「出ちゃっている」ものを作りたいと思うのだが、そもそもそんな大きな感動が無かったり、「うまくみせたい」とか「上手に描きたい」とか「はずかしくないものをつくりたい」といった欲望に邪魔をされて、「出ちゃっている」ようなふりをした「出そうとしている」ものを作ってばかりいる。

それは、言い換えれば「不自然」というものである。

残念ながら、自分も「出そうとしている」。

「出ちゃった」という経験はほとんどない。(これまで1度だけそういう経験があるが、もう一度やれと言われてもどうしてもできなかったりする)

 

ぼくらが日々試みていることというのは、その「あざとさ」や「不自然」な状態を、限りなくPUREにして「出ちゃった」状態に近づけていくという修行なのではないか。

これは仏の教えを学んで、悟りを開くような修行に近いのかもしれない。□

 

 

 

 

制作日記(第10回個展まで60日)

 

個展まであと〇〇日........。

 

なんていうカウントダウンが始まると、体のどこかでチリチリと何かが焦げるような音が聞こえ始める。

毎日の他の業務やらに追い詰められている中で、制作のための時間をこじ開けて、前方から激しい勢いで流れてくる激流に流されないように歯を食いしばりながら、上流に向かって歩いて行かなくてはいけない。

苦しい。

なんでこんな苦しいことをわざわざ自分から設定したのだろうか、と思ってしまう。

だけど冷静に裏返してみると、これは「学園祭の準備期間」なのである。

僕は学園祭を開催したいのである。

そう思って計画を立てた。

学園祭は楽しい。

というか、今から楽しくするために準備をするのである。

それは「苦しい」ではなくて「楽しみ」なのではないか。

 

1日1日がカウントダウンされていくことを、

あと〇〇日しか残されていない、と追い詰められたり、苦しみとして受け止めるのではなくて、あと〇〇日、学園祭を楽しめる。と捉えるべきなのである。

 

そんなことを、毎年個展が無事開催され、終わる時期になってようやく「終わっちゃったな」「さみしいな」「準備たのしかったな」と思い出すのだけど、今回は、これからやってくるあと〇〇日を、今から楽しもう。と思うのである。

 

残された日を、どう受け止めるかで、180度変わってしまうのである。

これ、すべてのことに当てはまるのかもしれない。□

制作日記(第10回個展まで61日)

 

第10回の個展の準備がはじまった。

 

とはいうものの、「まさに今はじまった」というわけではなくて、厳密には第9回の個展が終わった瞬間から、はじまっているわけなのだが。

ここでいう「はじまった」は、「火がついた」というのが近い。

あと60日ほど。

そこにきてようやく「やばい」という気持ちになり、追い詰められるように発火したようなものである。

なにはともあれ、今年もまた、終わらない学園祭が「はじまった」のである。□

今日の一冊

 

迷路館の殺人」 綾辻行人著 講談社文庫

 

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(以下全て自分へのメモ。すべてネタバレしてますので注意)

 

 

 

 

 

 

 

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島田は本を手に取った。

という冒頭からもうだまされているという見事さ。

 

手に取ったのは島田の兄。書いたのが島田本人。という脳震盪。

もうそれだけでこのミステリーが一級品といえる。

 

ただ、劇中作の「迷路館の殺人」の中で、あらかじめ鮫島が作っておいた小説の通りに、作家たちを殺していくという箇所。

第一の殺人で犯人である鮫島が、首を切断した理由が、生理で汚れた床を隠すためだった。となっているところは、生理が来ることは計算できなかったでしょう?

というところはひっかかった。□