★生きる。ということ。

GWにカンボジアベトナムに行って来ました。


大カルチャーショック。
保守的になりかけた脳みそが激しく揺さぶられる感じ。


これまでなんだかんだでアメリカだのスペインだの、先進国しか見たことが無かった自分に経済成長真っ只中のこれらの国の喧騒はまさにカルチャーショックでした。


今回の旅の主要なテーマは「生きること」であったと思う。
カンボジア人、ベトナム人はどちらも「生きること」に必死だ。


町を歩いていても、日本人であるというだけで、絶え間なく手をつかまれたり声をかけられたりする。ちょっと立ち止まるだけで取り囲まれる。彼らはその日生きるための糧(つまり金)を我々が落としていくことを知っているのだ。だから必死でしがみついてくる。



最初は「来るな。」と思った。


自分だからなのか。日本人だからなのか。それとも先進国だからなのか。
いわゆるそういう国に生きる人間ほど他人のことに構わなくなってくる。
他人との間にバリアーを張り、距離を置き、壁を作る。
少なくとも自分はそういう人間だ。


しかし彼らはそういう我々のふところにずかずかと遠慮なく踏み込んでくる。
ちょっと立ち止まりスケッチするだけでも、当然取り囲まれる。
自分を中心に人が集まり記念撮影までしていったりする。仏像にでもなった気分だ。


カルチャーショックの源はそこにあったと思う。


これを楽しいと思えるかで旅が楽しいか否か、が決まる。

自分にとって最初は苦痛にすら感じたこの旅も終わるころには快感になっていた。
そもそも日本人だって昔は同じようにみんなバリアーなんか張ってなかったんだから。


日本に戻り、その静かな町並みを噛み締める。
が、誰からも相手にされなくなると今度は寂しく感じたりするのだ。これが。(つづく。かも)□