★私を、渡す。

「にわかラグビーファン」って言葉は、きっと今年の流行語大賞に入るでしょうね。

はい。にわかラグビーファンの僕です。

にわかですが、今日もラグビーについて少し書きます。

スポーツはふだんニュースで確認する程度で、ラグビーどころかスポーツ観戦というものですら、めったにしない僕なのですが、このたび夢中になってラグビーの試合を見つめていて、思ったこと。

ラグビーというのは、パスの美しさが光るスポーツなのだな、と思いました。

ボールを持った選手が、敵のタックルをくらって倒れる間際に、次の選手にボールをわたす。
その次の選手もまた、敵のタックルをくらって倒れる間際にまた次の選手にボールをわたす。
この繰り返しをつないでつないで、ボールを敵陣まで運び込む。

日本語の「私(わたし)」という言葉は、自分という存在を他人に「わたす」という語源から来ているとどこかで聞きました。
一生をかけて作ってきた「わたし」を、次の世代に「わたす」のです。わたされた者は、また生涯をかけて「わたし」を作り、また次の世代に「わたす」のです。そうやって文化・文明は進歩してきたし、これからも進歩していくものだと。

スコットランド戦で、敵に崩された福岡選手が倒される間際に、何とも美しいひねりのきいたパスを松島幸太郎選手に渡してトライが決まったシーンが印象的でした。

これこそまさに福岡選手が「わたし」を松島幸太郎選手に「わたした」瞬間だったのではないだろうか。

ラグビーのあの美しいパス回しをみていたとき、そんな考えが、ふと脳裏によぎったのでした。

今回の快進撃を観てからの後付けみたいになっちゃうんだけど、そんなこともあって、ラグビーっていうスポーツは日本人にとても向いているのではないかとも思うのですね。

自分を犠牲にしても相手に託して果てるような、そんな考え方ってのが根付いていて、ラグビーにもその精神が現れているようにも思うんです。□