変っている人

 

「変わっている」

 

人に対してこのことばを使うとき、
大抵はネガティブなことばとして
使われている気がしている。

その人の個々の発言や行動を見ると、
おもしろい。すごい。とは言えず、
社会的には迷惑にはならないけれど、
それって大丈夫なの?と不安を
感じさせるような人。

そんな人を指して言うのである。

「彼は変わっている」と。

だけど稀に、そんな不安が逆転して、
おもしろい。すごい。という意味で
変っている人がいる。

 

小沢健二という人間は、僕にとって
ポジティブに変わっている稀有な存在である。

ナヨナヨしていて、発言がなんだか生意気で、
歌唱力も高いのか低いのかがよくわからない。

なにか一つが間違ったらネガティブな変わった人になりそうなあやうさがある。
だけど絶妙なところで、ポジティブな変わった人になってしまった存在である。

ひさしぶりにテレビやラジオに登場したと思ったら、完全なるマイペースでtwitterの朗読を始めて、どや顔をしている。彼がことばや楽曲を発表する枠組みは、独自で、ファンシーで、かわいさも感じるのだが、肝心なことばや楽曲には、強い毒を感じたりもする。だけど、それは誰かのためというより、彼自身が自惚れすぎちゃっていて、つきぬけているから、なんだかわれわれもつい引き込まれてしまっているように思う。ふと思ったが、それは矢沢永吉がにじみださせているものに近いような気もする。なんだかかっこつけて、自惚れまくっていて、自己陶酔のど真ん中に入っちゃっているんだけど、なるほどな。と思わざるを得ない仕事をしている。
そんなやつなのである。

 

「愛し愛されて生きるのさ」

「さよならなんて言えないよ」

「銀杏並木のセレナーデ」

「僕らが旅に出る理由」

等々、確かに小沢健二しか作りえない独自のにおいが歌詞や楽曲に焼き込まれている。人気絶頂の中、予告もなく20年近く姿を消していたが、昨今にまたふらりと現れ、新たに「アルペジオ」「薫る」といった楽曲やアルバムがリリースされたが、ブランクを感じさせないほど、におう。やっぱりこれは、小沢健二しか出せないにおいだったのである。

 

僕にとって、オザケンはやっぱり相当「変わった人」なのだと思う。

 

そしてコーネリアスも。ね。

 

この二人の活躍を見てると、フリッパーズギターってのはやっぱり本当にすごいユニットだったのだなと改めて思うのである。□