京都の夜

 

画廊で陳列の手伝いをした後、夜の京都を歩く。

 

丸太町通りから出発して、西の烏丸通に向かいながら、

御池通四条通へと南下してジグザグと裏道を歩いていく。

京都の夜が好きだ。

昼の裏道には華やかさがあまりない。マンションやら小さなビルが立ち並び、彩りを感じる部分も少ない。

ところが、夜になるとそれが一変する。

そこここにある看板や提灯に灯が入り、昼にはひそめていた本当の姿が見えてくる。

角を曲がり、その先に小さな灯を見つけると、そこに惹かれるように向かっていく。それらの多くは、そこにしかない京都らしい町家を改装したカフェやら居酒屋だったりする。

灯を一つ見つけると、そこに向かい、たどり着いてみるとまた次の灯が見えてくる。

点と点をつなぐように道を歩いていく。そのたびに新しい発見があり、歩くのが楽しい。

これまでに何度も同じ場所を歩いているはずなのだが、碁盤の目ともいわれる京都の裏路地は、道の名も覚えずに歩いているから、前回と同じ道に入ったつもりでも、座標がずれていたりで、常に違う姿を見せているように感じる。

この奥の深さも京都の魅力なのである。

だから次回行ってみたいようなお店が見つかったときは、なるべく見失わないようにメモを残しておくようにしている。

出会ったときが今生の別れのような気持で、1つ1つのお店を眺め、今宵の宴の店を探して歩いていく。

その晩は、四条烏丸から更に西へ向かったとある小さな居酒屋に入った。

 

f:id:massy:20200823192940j:plain

 

このあたりは祇園祭のときには山や鉾が立ち並び、最も華やかににぎわう場所であるが、祭りの終わった今は静かなものである。それでも、月鉾や鯉山などが保存された建物を眺めながら歩くと気持ちが高揚してくる。

もともと小食なのでコース料理のメニューの多さに閉口することが多い。
メインにたどり着く前に満腹になってしまい、食べたいという気持ちはありながらも、箸が止まってしまうのだ。
だけど、京都の居酒屋やレストランに至ってはコースであっても、満腹で苦しくなってしまった記憶は少ない。
量よりも質がさらに優先されているように感じるし、揚げ物や煮物などボリュームのあるメニューも少なめなので、最後まで少しずつじっくり楽しめるのである。
たくさん食べたい人には物足りないかもしれないが、「良いものを少しずつ」というこの京都の給仕が僕は好きだ。

賑やかだった店内も、一般的に食事の終わる20時以降になると客も減り、店内は静かである。厨房で調理をする料理長を眺めたりしながら、展覧会のことやこれからの制作についてなど語る。

京都は心が落ち着く。京都で個展をするのも、京都で飲めるということが大きなモチベーションになっているのだと思う。

今宵も、至福の時間となった。□