ノーベル賞ウィークといわれる時期である。
毎年10月のこの時期は、ノーベル賞の授賞者が世界的に華々しく発表される。
医学賞、物理学賞、化学賞、経済学賞、文学賞、そして平和賞。
それぞれの分野で年に、わずか1名から数名が選ばれる。
各分野におけるKING OF KINGS。
まさに世界最高峰といわれる賞である。
その名だたる賞に、この日本から毎年のように授賞者が出てきている。
歴代で見るとざっと以下のような方々が受賞されてきている。
はじめのころは10年に一人という感じだったが、それが5年程度に縮まり、今や1~2年ごとに受賞というところまできてしまっている。
こんなことがあっていいものだろうか。
と思いながらも、このような栄誉が毎年のように起きてしまうと、当初は「いつかとれたらいい」だったあこがれや願いが、いつの間にか「今年は誰だ」になってしまう。
受賞が当たり前になって、その前提でニュース番組をじっと熱い目で見つめるような、大いなる期待を抱いてしまう。
ドーハの悲劇を乗り越えて初めて、サッカー日本代表がワールドカップにたどり着いた時の、日本全土を覆いつくしたあの狂喜はものすごいものだった。
だが、その門をくぐり抜け、毎回のようにワールドカップに行けるようになると、いつの間にか、行くのは当たり前になってしまって「行けなかったら」なんてことは、全く考えることもしなくなってしまう。
この厚かましさというやつは、人間のさがなのだろうか....。
そういう自分もご多分にもれず、ノーベル賞受賞を心待ちにしてテレビを見ていたが、ここ数日で、医学賞、物理学賞、化学賞、文学賞と発表されたが、日本人の受賞はなかった。
残すところは平和賞や経済学賞だが、期待は薄いだろう。
今年はノーベル賞受賞者はなしという結果になりそうだ。そう思うと肩が落ちる。
ノーベル文学賞は、アメリカの詩人、ルイーズ・グリュック氏が選ばれたことが発表されたが、今年も村上春樹氏の受賞をどこかで願っていた自分。
知らず知らずのうちに、期待を膨らませてしまうこの状態は、だれかに夢をかなえてもらうことを代行してもらうという、依存心の大きさを表しているような気もする。
誰かの成果を期待する前に、自分の成果をちゃんと出していかないといけないよね。
少々戒めないといけないのかもしれないよなぁ.....。□