「君ばかり仕事をさせられているね」
この言葉には、
君へのねぎらいの意味もあるし、
仕事をさせた相手への非難もある。
更には、どうして君一人だけ仕事を
抱え込まされているのか、という
君への非難もあるかもしれない。
第三者からはそう見えたのかもしれないけれど、
でも、事実とはいろいろ違うように思う。
どちらかというと、自分は仕事は遅いしミスも多い。
それでありながら、未だ自分への期待を捨てずに、仕事のチャンスを与えてくれる感謝の気持ちがある。
これまでの汚名返上のチャンスに応えたい、という気持ちがある。
そこに「させられている」という気持ちはない。
また、ある側面からは指示した相手が何もしていないように見えたのかもしれないが、他の仕事では、普段むしろ自分の方が散々尻ぬぐいをしてもらっていたりする。
要するに、こんなときにしか自分は借りを返せないのである。ここで返せなければもらいっぱなしとなってしまうのである。
本当に僕らは、やらされているばかりなのだろうか。
もらっていることの方が圧倒的に多いのではないか。
もらうことは当たり前だからすぐに忘れてしまいがちだ。
それなのに逆に返す時にはものすごい負荷を感じがちだ。
もらったときの有難さと同じ気持ちを、相手にもしっかりお返しできるようにしたい。
キャシャーンが(またキャシャーンですまん!)「自分はキャシャーンなんかになりたくはなかった」なんてぼやいていたらなんとも悲しいではないか。
誰もがうらやむ才能やスキルをもっているのならば、たくさんの期待や仕事が集まることに感謝をして、受け止めて、応えていけばいい。
それがやりたくてもできない人の方が断然多いのだから。そして逆にピンチになったときは、逆に助けてもらうことになるのだろうから。□