お菓子の家

 

童話「ヘンゼルとグレーテル」にお菓子の家というのが登場する。

 

 

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お菓子を腹いっぱい食べてみたいという子供心に、そんな夢のような家があるのか、と驚き、強烈な羨望のイメージとなって脳に焼き付いている。

 

(あらすじを読んで、実はとても怖い物語だったと知ったがそこは置いておく)

 

かつて「ピンポンパン」という幼児向けの番組があった。

幼児の参加型番組で、最後に子供たちは穴の開いた大きな木にもぐりこんで、中に置いてある無数のおもちゃの中から、好きなものを取ってきて、持ち帰ることができるのである。
いつか自分もピンポンパンに参加しておもちゃをもらいたいと、当時の友達と話していた記憶があるが、結局実現することはなかった。

子供ながらに憧れた、お菓子の家やら、おもちゃがあふれる大木やらは、大人になってみたら、それほど欲しいものではなくなっている。
お菓子を腹いっぱい食べて気分を悪くするような経験をしたり、おもちゃがあふれていようが今となっては遊ぶ時間などない。といった現実にさらされて、あのころの憧れはだいぶゆがんで、小さなものになってしまったのだろう。

 

だが、そんな今の自分でも、最近心が大きく揺れる経験をした。

 

移動図書館」との出会いである。

 

図書館には週一程度で行くほどお世話になっているのだが、移動図書館というものにこれまで遭遇したことはなかった。

もともと図書館が少なかったり、遠かったりする人たちのところに、書籍を届けるという目的で運用されているものだから、自転車やらですぐに行けるような人間が住むエリアには、移動図書館は必要ない。

結果、自分の目の届くところではほとんど見かけたことはなかったのだが、その日は町で催事があり、それに合わせてやってきていたようである。

 

すばらしい。心が震える。

 

車一杯に詰め込まれた本が、向こうからやってくるのである。

車一杯とは言え、実際の図書館に収蔵される蔵書量に比べれば、運び出せる量には圧倒的な限界がある。厳選に厳選されたおすすめの名著だけが搭乗を許される。

その空間には、無駄なものがない。過去の名著から最新の話題書まで、良いものだけがぎゅっと押し込まれた最高の読み放題の知の宝庫が、しかも、こちらから行くのでもなく、向こうからやってくるのである。なんという素敵な車なのだ。

この奇跡の一台こそが、僕にとっての「お菓子の家」なのだった。

 

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 小さなものが好きなのである。

ビル一棟まるごと本屋という場所も嫌いではないが、狭く小さい限られた制約のある空間に、できる限りの優良な情報を詰めるというところに、美学を感じてしまう。

それは、小さな弁当箱に詰め込まれた色とりどりのお弁当しかり、小さなパンケーキの上に極上の緻密なデコレーションをほどこしたケーキしかり。(こういった類のものを僕は「庭」と呼んでいる)

本来の目的をすっかり忘れて、1冊とって眺めては戻し、また1冊とっては戻しと、ぐるぐるとこの移動図書館の周りを回り続けてしまった。

長い間、鎖につながれていたが、突然棚ぼたで鎖が切れて、自由を手に入れた犬のような気持ちであった。こころがはずんだ。

 

思えば、向こうからやってくる図書館があるのならば、向こうからやってくる美術館というのも悪くない。

大好きな仏像とか、屏風絵、絵巻物なんかが車に乗ってやってきたら、きっとひっくり返るなあ。□