「僕らは一体なにを観測しているのだろう」
一切、原稿もなく、資料もなく、会場に姿を見せるや、
唐突にマイクを手にして始まった書家・武田双雲氏の講演は、
思いつくままにマシンガントークを続けるスタイルで、
「これって講演なの?」と思わざるを得ないような、
いきあたりばったりのような、ゆるさを感じさせる講演だったが、
それもすべて緻密に?ゆるく?計算された結論へと向かっていた。
どこをみてもせわしなく、情報が溢れ、流れ、それでいて、
何を正しいと思い、何を誤りとするかも各自の判断を求められる時代。
「今を生きる。
ただ、ただ、今この瞬間を味わう。それこそが、極楽浄土」
それが武田双雲氏がたどり着いたぶれない一言だった。
もう何度も何度も同じことを考えてきたように思う。
そしてもしかしたら自分もその結論にはかすっていたのかもしれない。
だけど、自分の中に沁み込んでいなかった言葉が、今改めて、体に
ゆっくりと、強く、沁み込んできたように感じた。
宿題として、彼は一つの課題を残して去った。
「バスタオルで体を拭くことを、丁寧にやってみよ。
そして、それが楽しいということを、観測せよ」
その宿題こそが、これからの生き方の一つの方向を刺していたのだと思う。
改めて、あの仕事をしいて、この講演?と感じたことも、
この結論に向かうために進められていたように感じられて、
やはり、言葉や文字に向かって生きている人の姿というのは、こうであった。
ということを、別の切り口から確認する。そういう機会になった。□