「当たり前」と「有難い」

 

「当たり前」と無意識に思い込んじゃっていることに気づいて、

反省することがある。

 

ひとつを反省してみても、他にも幾多の無意識な当たり前があって、

きっともぐらたたきみたいになってしまうのだろうけど。

 

極端な例だけど

「水道の蛇口をひねったら、水が出る」

........って、当たり前と思ってるけど、

水が出ることは本当に当たり前なのだろうか。

 

日照りの日が続いて雨が降らず、断水することだってあるし、

逆に大雨で洪水が起こり、浄水施設がパンクすることだってある。

 

便利な世の中になったから、インフラと言われる部分は、

ほぼ当たり前と思っちゃっても問題が無いくらいに整備されているけど、

それでも明日それが打ち砕かれることだって無いとは言えない。

 

多くの人がもっていた最大公約数のようなお困りごとは次々と解消され、

かつては「有難かった」多くのことが、「当たり前」に置き換えられていってる。

...........でもこれって実は結構、危険なのかもしれない。

有難い気持ちがどんどん小さくなる現代ってどうよ?

それがほんとうに「しあわせ」なのだろうか?

 

「産休をとりますか?」市で開催された育児セミナーで、将来のパパたちと雑談する機会があって質問してみたのだけど、「自分が働いているところは人が少ない職場で、とても育児休暇なんて取れない」とか「なんとか出産後、2週間くらいテレワークを許可してもらうよう頼みこんでいる」といった返答が多くて、テレビや新聞が連日のように「産休が当たり前になった」のように報道しているのに対し、現実はとてもとてもそんな状況になどたどり着いてはいないことを知る。自分の周りだけで産休が「当たり前」になってしまっていたことに、反省をしたのである。

 

かつては、すべてのことが「有難いこと」だったことを忘れたくはない。

 

「当たり前」の上にあぐらをかいて、感謝を忘れちゃったら、ぼくら傲慢と欲望に支配されてしまう。

どこかで、「我唯足知」とブレーキをかけて、あらためて有難さや感謝をかみしめる時代に来ているのではないだろうか。

 

それは自分の座右の銘の一つ「期待をしない」に強くリンクしている。□