着れないTシャツがある。
Tシャツを買うのは、もちろん着るためなんだけど、
一度着てしまうと、もう「消耗品」になってしまう。(※)
それが嫌で、着れない。というか、もう着ない。と
決めてしまっているTシャツがある。
これは言い換えれば「アート」なんだと思う。
芸術作品としてのTシャツ。というものがあると思う。
それはいわば、Tシャツというキャンバスを使って表現された絵画であり、美術館に展示して、鑑賞するようなものだ。
ふりかえれば、椎名林檎の初期のライブツアー「下剋上エクスタシー」のTシャツとか、グレイシーハンター桜庭和志39のTシャツとか、着なければよかった。と後悔するTシャツはたくさんある。
とても、もったいないことをした。
任天堂からもらったスーパーマリオのTシャツとか、ジョジョのTシャツ、ユニコーン×小島功のヒゲとボインのTシャツ、ドラえもんのTシャツとか。
これらは、そしてこれからは、こういうかっこいいTシャツはアートとして残しておこうと思う。
(※)余談だが、「消耗品」となるかどうかは、買いたての新潮文庫に挟んである紐の栞を使い始めたときにも似ている。
まだ誰も読んでいない製本直後の新潮文庫の紐栞の挟まれ方の美しさは、一度取り出して使ってしまったあとに、もう一度挟みなおしても決して元には戻らない。と自分は感じている。
いわゆる「紐栞バージン」ということだろうか。
Tシャツにも「Tシャツバージン」があって、一度着てしまったら、それをたとえ丁寧に洗濯しても、アイロンをかけても、もう「使ってしまった」という状態になって戻ることはないと感じている。
「未使用」という状態ってアートなのかもしれない。□