「他人事」を掘る。 

 

「引っ越しました。」

 

「親不知を抜きました。」

 

「子供が生まれました。」

 

・・・そんな話を人から聞くことがある。

が、多くの人にとっては、

それらは「ふーん」で終わる。

話した人からすると「え、それだけ?」と拍子抜けする。

 

でも、それって「ふーん」どころじゃないよね。

引っ越すためには、それまでそこで住んで積もっていたものを全部整理したり、処理をしたりして、段ボールに詰めて、トラックを手配したり、新しい家を探したり。場合によっては数カ月はかかるくらいの大仕事だ。

親不知を抜くのだって、数か月前から検診・予約があり、引き抜いた後も、長く痛みを引きずったり、歯を抜いた穴にごはんつぶが入って悶絶したり、落ち着くまでにはどえらい時間がかかったりする。

子供が生まれるだって、新しい命が出現する。のだからね。家の環境を全部作り替えることになるし、生活スタイルも180度変わったりする大事件なのだ。

それぞれのエピソードの中に、想像を絶するドラマが埋もれているのだ。

 

でも、そんなことを他人は「ふーん」で片付けて流してしまう。

他人事なのだ。

 

だけど、実はそこにこそ、その人しか体験できなかったり、感じ得なかった非日常=「すべらない話」が積もっている可能性がとても高い。というか100%積もっている。

多くの人にとっての毎日は、平凡で変化のないものと流れて行ってしまいがちだけれど、それらのことは超非日常であるから、誰にとっても「超イベント」であるはずだ。それを「ふーん」で聞き流してよいものなのだろうか。

「ふーん」じゃなくて、「えっ!?」でしょう。正しい反応は。

そこに食いついて行かないと、勿体なくないか。

他人の超非日常は、自分にとっての超非日常な話にもなりえるんだから。

 

他人事の中にこそ、超バタフライエフェクトのトリガーが眠っている。□