忍び寄る魔 PART3

 

そうだ、親不知抜こう。

 

なんて軽いコピーを書いてみたが、正直そんな生易しいものではなかった。

 

かつてイラストレーションスクールに通っていたころ、

 

「インフルエンザのときに描く絵は、

 インフルエンザのときにしか描けない。」

 

なんてことを言われて、どんな時でも描く!などと燃えていた時期もあったが。

親不知を抜いてみて思ったのは、絵を描く気になどとてもなれない。というのが正直な気持ちである。

抜歯時は麻酔が効いていたし、長年連れ添ってきた親不知とついに決別できたことによる満足感で歯医者を後にしたが、2~3時間ほど経つと、麻酔が切れ、右奥歯のあたりを中心にして頭全体に耐えがたい鈍痛が広がってきた。
頓服は一時的には効いたが、数時間で痛みが戻ってくる。継続する鈍痛で頭が朦朧としてくる。

 

時間を戻そう。

抜歯で痛いと感じたのは麻酔を刺すときだけだった。
抜歯には痛みはなかったが、恐怖が圧倒的に大きかった。
通常の、先のとがった針状のものでキュィィィーンと歯を削り落とされていく治療に対し、今回はダイナミックに歯を引き抜く治療で、使う道具も、針ではなく、のこぎりやヤットコのようなもので、いわば閻魔様に舌を抜かれに行く亡者のような気持ちである。
治療台に座るとすぐに口以外に布をかぶされるので、実際にのこぎりやヤットコを構える閻魔大王(=医師)の姿は見えない。が、布をかぶされ見えなくなったことで、勝手な妄想が脳内を満たし、かえって恐怖は増大した。

「レーザーではぐき表面の肉を焼きますねー」

気軽に怖いことを言ってくる。
タンパク質が焦げるニオイが鼻をつく。肉が焼かれているのである。そこに血が焦げるにおいも混ざり恐怖が強まる。麻酔がなければ熱さで飛び上がるほどの痛みがあったはずである。

肉が焼け落ちた後、ターゲットの親不知が顔を出すといよいよのこぎりとヤットコ(仮)の出番だ。

「ちょっと圧力かけますねー」

軽い言い方をしているが、かかってくるGは半端ではない。
首がもげるような力が下あごにかかる。歯も含めてまるごと下あごの骨がスポンと抜けて取れてしまうのではないかというGがかかってくる。
ぐぎぎぎぎぎ。
宇宙から大気圏を抜けて地上に帰還する宇宙飛行士のような気持か。Dead or Alive。科学的には安全だが死ぬ確率はゼロではないような佳境。

「スポン!」(なんて音はしないが)

時間にして約50分程度の死闘が終わった。親不知は無事に抜けたのだった。

「もう1本行きますか?」

医師はやる気だったが(もちろん今日ではない)辞退した。
残す親知らずは左下奥のみだがこれは来年の楽しみにとっておこう。

 

さらに時間を戻そう。

この度の件の発端は、ある日なんだか奥歯がしみると思って検査に出かけたところ、右奥下の親不知と奥歯の接点の影になった箇所に隠れていた虫歯が発見されたことにはじまる。
数か月に一度しっかり検査をしており、問題はないと言われ続けていたにもかかわらず、レントゲンを撮ってみると虫歯が奥歯をむしばんでいたのである。
忍び寄る魔。
たとえプロの検査であっても、問題ないという結果を鵜呑みにしてはいけない。
心配があるのなら、セカンドオピニオン、サードオピニオンも集めて広く結果を精査したいものだ。転ばぬ先の杖なのである。□