自分が長い時間、こだわって、悩んで、どうしても相談したいことだったのに、いざ話してみたら、相手の言い分に流されて「そうですよね」で話を終えてしまう自分がいる。
で、しばらくして、やっぱりしっくりしていないことに気づいて、また悶々とする。
そんなことが多い。
社会の業務は、属人性を求めない。と言われる。
誰かひとりに依存した仕事の仕方をすると、その人間がいなくなったときに、代理が立たず、事業が傾いてしまうから、その人だけに依存するような仕事の仕方はせず、誰でも代理がフォローできるようにしておく、という理屈である。
が、個人としては「自分しかできない」「自分ならでは」「自分らしさ」があってほしいのである。つまり「君がいないと絶対に困るんだ!!」と言ってほしい。
極論、自分がいなくなったとき、世界がとまってほしい。という気持ちがある。
でも、世界は別に自分がいなくても回る。
余談だが、「世界は今日も簡単そうに回る。そのスピードで涙も乾くけど」
と美しく唄いきったのはピロウズだ。(「FunnyBunny」)
「社会なんてそんなものだ。社会の仕事と個性は分けて考えたらいい」
そんなふうにバサッといわれてしまうと、そんなもんですかね。と、その場は話しづらいことを話してしまったという照れ隠しもあって、いったん納得したような顔をしてこの場を終わらせようとしてしまうのだが、改めて考えてみたら、やっぱり全然腑に落ちていない。
そんな簡単なもんじゃねえだろ。とぶりかえしてしまう。
自分は自分しかできないことをやりたいし、「あなたしかできない」を求められる人間でありたいと願い続けているのだが、そんなものはないよ、と突きつけられた時、どうも反発してしまう。
だけど、改まって、「じゃあ、お前にしかないもの、お前しかできないことってなによ?」と問われてみたら、相手を納得出せるだけの価値、強い自分らしさといったものが確かに無いのである.......。
名画「素晴らしき哉人生」みたいに、自分のいなくなった世界を一度覗いてみる機会があったりしたら、すっと納得ができたりするものだろうか。
自分のもやもやの元凶はここにある。たぶんこれは一生消えない。
それに抗うべく、納得のいく「作品」「仕事」を出していくしかないのだろう。□