冷静に考えると、たかが「月マタギ」なのだが。
12月から1月をまたぐ大晦日と呼ばれるこの瞬間だけを、
僕らは、何故これほどまでに、
神々しく、ありがたい瞬間に感じてしまうのだろうか。
おそらく、この1年間、自分という存在が、世界に対して
じわじわと積もらせてきてしまった「穢れ」や「負債」を
全て帳消しにしてもらえる。と、信じているからだろう。
いわゆる、1年に1回の「心のボーナス」というやつだ。
「前の1年のことは許してやるから、今年こそはしっかりやれよ」と、
神様からお許しをもらえる瞬間だと思っている。
ゆく年くる年を眺め、ゴーンという除夜の鐘の音と共に年が明けると、
自分は、まっさらな手帳のような状態にしてもらえたと思えるのだ。
そして「今年こそは世界に迷惑をかけずちゃんと生き抜こう」と思う。
.....と言いながら、年が明けて仕事が再開したら、すぐにまた負債が
積もり始めてしまうのだが。
それでもまあ、いいではないか。それが人間だ。と、自分を励ます。
3日坊主だろうがなんだろうが、正しき道を行くという信念は持っていたのだ。どうか許してほしい.....。(と、また次の年に頭を下げる)
2023年もいよいよ終わりである。
迷惑をかけた人々に心からお詫びをしながら、十割蕎麦をすすり、蕎麦湯で割った焼酎を飲みながら、紅白歌合戦を眺め、来年こそは頑張ります。と心に唱えてみる。□