我唯足知

 

時間が無い。ということは、不幸だろうか。

 

ここ最近の時間のなさを、当初はずっと不幸だと思っていたが、そうではないかもしれないと考えるようになってきた。

 

ないことによって、あるものがより鮮明に見えるようになる。ということもある。

 

たまに手に入った小さな小さな木漏れ日のような時間のよろこびを、時間があったときにくらべて何十倍にも大きな幸せに感じる。大切に扱えるようになる。

手帳に一日の記録をとる。

ブログを書く。

絵を描く。

美味しいものを食べる。

テレビや動画を眺める。.......

 

潤沢な時間があったときにも、当然そんなことを、当たり前のようにできていたけど、小さな時間の中での緊張感の中で味わうそれとは、アウトプットとしては同じかもしれないけれど、かけがえのないものとしては雲泥の差を感じる。

それを感じることができるようになったことは、不幸を超えて幸せを手に入れたとも考えられる。

最近そんなことを思うのである。□