幸せの大小

 

マッチ売りの少女が凍える中で小さなマッチを擦り、

小さな灯の中に大きな幸福の幻影を見る。

 

秋の牢獄の中にいる。

全く身動きをとれないほどの時間的制約の中にいるが、時折手に入れられた小さな自由時間に、これまで体験したことの無かった至福を感じる。自分の時間というものが、これほどに幸せなものだったかということを噛みしめて、小さな時間でアトリエの新聞を編集している。

ついこの間までは、潤沢な時間が当たり前だったことを振り返り、あれがほんとうに有難いことだったのだことが、体の中に沁み入る。

でも、ではそのころに比べて小さくなった時間が不幸であるかと問えば、そんなことは全く無くて、むしろ、これはこれで幸せなのである。ないからこその幸せがある。幸せということをはっきりと自覚できていることでは、むしろこの牢獄の中の方が幸せであるのかもしれない。

これまで自分が「持っている」とき、「持っていない」人を、かわいそうだとか思うことがあったかもしれないが、そんなことは大きなお世話だったのだな。

 

小さいからこそ大きいものがみえたりもすることがある。

有ることが必ずしも幸せとは限らないし、

無いことがかえって幸せだったりもする。

幸せは大小では決められるものではない。□