フィレンツェを語る。

ホテルから歩いて5分程度だった。


左の角を曲がったとたん、フィレンツェの象徴・花の聖母寺が視界の大半を覆った。


呼吸が止まった。


これまで、絵はがきやら、本やらでその姿を見たことはあった。だが、肉眼で始めてみたときのこの衝撃。


巨大である。圧倒的である。全てが緻密で美しい。


まるでお釈迦様に見下ろされているような感覚だった。


どっと涙が溢れる。


これまでの些末な生き方や取るに足らないことに言い訳ばかりしていた自分が、なんだか本当にちっぽけに感じてしまったのだった。


「どうか許してください」。そういう気分になった。


そして、その後訪れたウフィツィ美術館やアカデミア美術館で目にした作品の数々にも、更に追い討ちをかけられた。


質より量でも、量より質でもない。完全なる、質と量を兼ね備える偉大なる作品群。


どこを見ても驚愕。さらにその中でも、ぐんと抜け出るダヴィンチやボッティチェッリミケランジェロの強烈な個性、才能、体力、精神力。


自分が100人集まっても、彼らの足下にも及ばない。スケールが違いすぎる。


たかが100号の1、2枚に息を切らせ、個展ひとつやるだけで悲鳴を上げる。


俺のやっていたことは「ままごと」だ。


うれしい悲鳴と同時に失望するような気持ちになる。10年分の感情が揺れたような気がした。


そして、アレッツオでの衝撃的なピエロ・デッラ・フランチェスカ「聖十字架の伝説」との出会い。


自分の作品のルーツに出会ったような気分だった。もはや日本人は一人もいない。ここまで来た。逢いに来た。


多くのスケッチをするつもりでいたが、実際に描けたのは10枚程度だった。


あとは全て心の中でのスケッチとなったが、これが非常に重要なものとなった。


このエネルギーを作品に昇華していきたい。
インスパイアを受けた者は、オリジナルを超越した次なるインスパイアを生み出さなくてはいけない。



フィレンツェでは、毎朝目覚めてからドゥオーモまで散歩をする日々を過ごした。


たくさんの店がならび、どこも華やかで楽しい。


歩くたびに新しい発見があった。浅草に住んでいた楽しかったころを思い出した。


フィレンツェは花の都ということで、よく京都に例えられるが、自分にとっては浅草が最も近い。


今度はフィレンツェを思い出しながら、浅草を歩きたい。そしてどぜうでもつまみたい。


人生の大きな思い出となったこの大いなる旅に、感謝。□