映画「パシフィック・リム」について書きます。
(ネタをばらしまくりながら、推敲無しで好きなことを書きまくるので、これから見る人は注意するように!)
サンダーバードからウルトラマンが生まれ、ウルトラマンからエヴァンゲリオンが生まれ、そしてパシフィック・リムが生まれた。
特撮やアニメに携わってきたアーチストたちのバトンが国境を越え、次の走者に渡され、つながっていく。
これこそがものづくりの使命なのではないか。
こういった一連のバトンのリレーの目撃者となれたことが、この作品に対する一番のよろこびであったと思う。
樋口真嗣監督や庵野秀明監督もさぞかしぶったまげたことだろう。
視聴者としては喜びながらも、作り手としては、これまで金メダルが約束されていた日本のアニメや特撮が、ついに逆転された!という悔しさも感じているのではないだろうか...。
このショックをまた次のエネルギーに変えて、次の作品で、またギレルモ・デルトロ監督をぶったまげさせてほしいものである。
さて、以下は映画の個人的な感想。
ウルトラマンとパシフィック・リムの関係を、ひとことで言うならば「プロレスとPRIDE」または「パチンコとカジノ」なのだと思う。
フリースタイルで本気でなぐり合ったら格闘技の試合など3分ももたないものである。
だが、いかに長く視聴者を楽しませるか。というファンへのサービスを取り入れたときに、日本のプロレスは確立された。
ジャイアント馬場が足を上げれば、悪役レスラーはそこへ吸い寄せられるようにつっこんでいくのである。そして「待ってました!」とファンが喝采するのである。
ウルトラマンにもそういう「ファンへのサービス」が取り入れられていた。
怪獣の着ぐるみがぼろぼろになっていたり、ワイヤーが薄くみえていたり。そういうのも含めての娯楽なのである。怪獣たちも敵でありながら愛嬌があった。
ところが、プロレスも飽和すると、客は刺激に飽き足らず「本気でなぐり合え」と言い出した。PRIDEの誕生である。
言い出した人々は満足しただろう。だが、愛嬌のあったマスクマンや悪役レスラーが失われて嘆く者もいただろう。
パシフィック・リムの怪獣は、まるで実在するかのようなリアリティで、街を粉々に破壊し、正義のヒーローだろうがお構いなしに、イェーガーの腕を食いちぎった。これがPRIDEでマウントポジションをとったヒクソン・グレイシーにかぶるのである。
ウルトラマンがチョップして「あんぎゃー」と叫ぶようなかわいい怪獣の姿はどこにもない。
実際に怪獣がいたら、かわいいなんて言えるわけがない!として、怪獣を「恐怖」の象徴として、徹底してリアルに、徹底して怖い生命体として描いている。
怪獣の出現周期はどんどん短くなり、凶暴度も増し、やがて2体同時、3体同時。とエスカレートしていく。その怖さは一級のホラー映画に匹敵するほどで、気分が悪くなるほどだった。
パシフィック・リムは、ウルトラマンではあえて語らなかった「のりしろ」や「遊び」のぼやかした部分をすべて説明しつくして、すべて「見える化」している。
怪獣たちがやってくる海底の亀裂の先は、異次元で他の惑星とつながっており、その先にエイリアンがいて怪獣のクローンを作り、地球に次々送り込み、地球の資源をのっとろうとしている。
使徒はどこからくるのか?
エヴァンゲリオンが20年以上にわたってはぐらかしている真相を、容赦もなく一言で説明してしまっている。ここに日本とアメリカの大きな差があると感じる。
パシフィック・リムはアメリカ映画だった。
日本人という民族の「真相をぼやかす」というところにある美学を、アメリカ的に全部白か黒かで決着をつけてしまっている。
日本を代表するギャンブル・パチンコでは、勝っているか負けているかがぼんやりしていて、いつもそれがアナログ的にゆれている。
大切なのは勝ちか、負けか。ではなくて、勝っている状態と、負けている状態をいったりきたり、長々とじれったく楽しむというところに醍醐味があるのだと思っている。これが日本のギャンブルである。
だが、アメリカのカジノは違う。換金所で購入したチップはものの10分でなくなり瞬時に勝敗が決まるのである。
どちらがいいというつもりはない。
プロレスが好きな人もいるし、PERIDEが好きな人もいる。
ウルトラマンが好きな人もいるし、パシフィック・リムが好きな人もいる。
だが、やはり自分は日本人である。エヴァンゲリオンには、20年間、はぐらかされ続けているが、その過程を楽しんでいる自分がいる。
むしろ、真相がわからないもやもやが、20年にも及ぶ商業性を継続させたともいえるのである。
相撲の八百長疑惑を暴いてみたり。知事の部屋をガラス張りにしてみたり。自動改札を導入してキセル乗車を撲滅してみたり。
正論なんだけど、そこはぼやかしていてもよかったんじゃないのか。と思う。
日本は欧米化を取り入れ、よかったものを結構捨ててしまっているのではないか。
日本の特撮やアニメは、そういう「ぼやかしの美学」「はぐからしの美学」がまだ残っている。だから美しいのである。
まあ白黒つけない政治は褒めれたものではないが。結局そういう民族なんだよ、日本人て。
パシフィック・リムは良くも悪くも「自分はやっぱり日本人だなぁ」ということをはっきりと思い出させる作品だった。
見るならばぜひ吹き替え版で。
菊池凜子は日本人なのに、綾波レイの林原めぐみが声をあてているのが面白い。
ラストシーンなんか、完全にエヴァンゲリオン破だもんね。
千葉茂や古谷徹、池田秀一など、とにかく豪華キャストで、配役を決めた人は相当センスがあるなぁと思いました。永井一郎も出てほしかった。。□