カリスマ論

「カリスマ」とは何だろう。


自分の周りにはそう呼ぶにふさわしい優れた人間が数名いる。


誰の周りにもきっとそういう存在はいるのだろう。


芸能界やスポーツ選手にもそういう存在がいて、テレビの中でひときわ凛と輝いて見えたりする。


「カリスマ」とは具体的に彼らのどこを指していうのだろう。


彼らと自分の差はどこにあるのだろう。


個人的な見解としては、


「一個人が仕事に携わるその業界で、自分自身の発展・成長以上に、
その業界全体の発展・成長のみを真摯に願い、行動している存在」


がカリスマだと思う。


たいていの人間は、自分の仕事で手一杯になったり、自分の利ばかり追い求めたり、他人の成果に嫉妬したりする。


が、少なくとも自分がこれまで接してきた「カリスマ」たちは、自分のこともきっちりやる以上に、とにかくその業界がどうしたらよくなるか、それだけを純粋に不動の中心に据えて行動していた。


世界大賞展の審査長であった佐々木豊先生は、授賞式の挨拶で自分の話など全くしない。

これまでの受賞者が現在どのような活躍をしているかを生き生きと語るのだ。
そこにはこれからの美術界を頼んだぞ、という思いも感じたし、我々にもそういう存在になってほしい。そして美術界を支えていってほしい。という強い純粋な願いを感じた。

そして他の審査員が開いた展覧会を絶賛し、どうか見てほしい。といった宣伝ばかりしている。自分のことはさておき、優れたものは素直に賞賛し前に押し出す努力をする。


こういう姿を見ると、心が震える。


この人は信頼できる人だ。


この人についていきたい。


この人の傍で描き、この人の願う世界の実現に向けて力を貸したい。


と思うのだ。


これこそが真のカリスマではないか。


チェ・ゲバラのカリスマもそういうものだったのではないか。
(映画の中にはそういうことが描かれていなかったけれども)


そういう存在にはそうなれるものではない。


ただ、そういうすばらしい人間の傍で学び、そういう方に近づくための努力はしていきたい。と願う。□