マンションの階段から見える景色に「何か」を感じる。


一見殺風景なビルが並んでいるだけの光景だ。
だが、手前にある大きな木とその林立するビル、マンションの立ち並び方、光の当たり方。そういったものが、何か言葉にできない「美」を構成している。



絵は「何でこんなもん描いたの?」といわれるようなものを描くくらいでいい。


要は、明と暗。そして彩色。
その組み合わせのみで美しさを構成し、視る者の感性に訴えることは可能だと思う。


何を描くか。は考えなくていい。


我々の眼は、描くべき対象とすべき「本質的美」を「属性」を通じて受け取るので、その「属性」を描きさえすれば、「本質的美」を描けたものだと信じ込んでしまう。だから「属性」に振り回される。


だが「属性」は結局「本質的美」を溜め込む「器」でしかない。


その「器」に満たされている「本質」という名の液体を描けなければ意味はない。□