46年ぶりといわれる皆既日食で日本が沸いた。
11:05AM。
大阪は残念ながら薄曇りの天気で時折ぼやけた太陽がチラリズムで見える程度であった。
無念.....。
仕事そっちのけで一生懸命空を見上げていたが、結局自分は日食を肉眼では確認できなかった。
それよりも、このお祭り具合はどうだ?
10:50AM、職場にはだまってこっそりと窓際まで行ったつもりが、建物の外を見ればなんと30名近くの社員たち、中には単位時間のコストがとても高いチームリーダークラスの人までもが混じって、わいわいがやがやと日食を見に集まっているではないか....!
ふだんは難しい顔をして話すこともない人までがお互い、その瞬間ATフィールドをゼロ(もしくはマイナス)にして「見えますかね」「今ちょっと見えました!」などとまるで知己の友であったかのように自然に語りながら空を見ている、その様。
仕事の優先度すらはるかに超越して、見る人も、見ない人も、「しょうがないな」と納得させてしまう事件。
こんな珍事はめったにないことなのではないか?
今ちょっと記憶を探った限りでは、最近ではワールドベースボールクラシックの決勝がそれに近かったが、今回の世界の関心はそれをはるかに凌いだと思う。
日食そのものも見ておかなくてはならないが、それに踊らされる人間模様もじっくり見る価値のあるものではないか、と思った。
全ての人間のATフィールドをゼロにする。まさにそんなことが出来るのは大自然、大宇宙の見えない意思だけなのだ....。
もしかしたら、こういった現象を人工的に起こすことが「人類補完計画」なのでは?
....などと嘘臭い悟りをひらいた気になっている阿呆な自分であった。□