東京の余震はややおさまりかけているように感じた。
自粛ムードもGW突入直前か、直後に一気に緩み始めたようで上野には1ヶ月遅れのパンダブームが到来したようだ。
そんな中、美術館7本立ての梯子を決行。
1.写楽展@東京国立博物館
写楽の絵も、今となっては文化的に意義があるものとして評価されているが、
たぶん写楽が生きている間、多くは狩野派等のエリートにほとんど絵の仕事を牛耳られて、描き手として自分の生きのこる道を相当探し、もがいたのではないか。
わずか10年にわたる華々しい作品発表の裏に相当の苦悩を(勝手に)感じた。
色の使い方や着物の柄の描き方にかなりのスキルを感じるが、彼も時代にはさまれて生きていたんだろう。
空いていると思い込んでいたがかなりの混雑具合である。
チケット購入に10分、入場に20分かかった。
(更に海洋堂の岡本太郎フィギュアのガチャポンで20分...)
丁度、渋谷の「明日の神話」に原発を思わせる落書きが見つかったとかいうニュースがあり、話題が集まったこともあるのだろう(翌日見に行ったが既に撤去されていた)。
彫刻あり、絵画あり、VTRありで、期待に応える素晴らしい展示だったと思う。
何が描かれているかとかはもはや関係ないのだろう。
他人の目をうかがうような譲歩や妥協、迷いが画面上に一切ない。
その突き抜け方が気持ち良かった。
こんなふうな生き方を自分もしたいと思った。
出口のところで太郎おみくじを引いた。
「いつも危険だと思うほうに自分を賭ける。それが生き甲斐だ。」
肝にめいじて行きたい。
きわめてシンプルで見やすいいい絵だ。何度見ても良い。
そのシンプルさをもたせている画肌が見所でもあるので、やっぱり牛島さんの絵は生で見るに限る。
90歳になっても全く画面が壊れていない、緩んでいないところがすごいと思った。
裏返すと、歳をとっても続けていけるシステムを作っていたんだろうと思う。
これからの自分の課題だと思う。
あと、知らなかったんだけど松涛ってすごく上品な場所のようで。
わずか一分で渋谷のど真ん中とは思えない閑静さであった。
立っている家がどれも豪邸で、点在する店もイタリア料理店だったりポルトガル料理だったり。
帰りにMARという店でパスタを食べました。優雅な時間でした。
4.ベルナール・ビュッフェ展@ニューオータニ美術館
ビュッフェの作品をまとめてみるのは今回が初めてだった。
制作の過程を記録した20分のVTRが流れていた。
タバコ1本ふかす間に1枚絵ができている。
映像からすごいエネルギーが噴出しているように感じて、吐き気がした。生涯を制作してすごすというのはこういうことなんだろう。
勢いが絵にのっかって、かつ説得力を残しつつ完成している。
とんでもない才能である。
この映像は今年の1つの忘れられない衝撃となった。
たぶん自分が今見たいものではないだろうと思っていたが、東京でしか見れないので足を運んでみた。
が、やっぱりつまらなかった。
ひたすらエッチング作品。
タブローはチラシに描いてある程度の5〜6枚。
もともと残っている作品数が少ない人なので仕方ないけど。
宗教的な背景に興味がある人や、エッチングをしている人などにとってはものすごい勉強になるのだろうけど、今の自分にとってはあまり必要ない内容だった。
常設展示で見たゴーギャンやフジタの絵の方が余程、沁みた。
国立美術館はさすが国立というだけあり、どこも常設展示が優れているから、最悪のつぶしは確保されている。
6.国展@国立新美術館
国展はいつも作品もいいし、企画もいい。いつもとても勉強になる。
国画会の所属に関係なく、広くあまねく優秀な若手を選出しての作品展示企画がされていた。なんという柔軟さ。もちろん、絵も素晴らしく良い。若い人ってすごいな、と思った。
世界堂のコンクールで指導してもらった佐々木豊先生の、新しい才能を発掘して広く長く育成していこうという柔軟な考え方が国画会の組織にも反映されているように思う。
残念ながら今年も選外だった。
入選か選外かの境界を彷徨っているようではいけない。
そんなポジションにいたら、いつも落選をおびえ続けて絵を描かなくてはいけなくなる。
そう堅く決意して制作を続けているが、結果やっぱりその怪しげな境界あたりを彷徨っている。ということだ。
すごいやつは圧倒的にすごい。何度出しても必ず入選してくる。
自分もそのポジションを目指さなくてはいけない。□