長かった個展向けの作品制作がついに終わりを迎えた。
お陰様で、今もなんとか描くことを継続できている。
振り返ると、20代のころに考えていた姿と今の姿とは、ぜんぜん違うなあと感じる。
あのころは、登竜門をくぐり抜けることだけが、目標だったと思う。
登竜門さえ抜ければ、あとは全て社会がひっぱってくれる。
潤沢な時間や環境を社会が与えてくれる。と思い切り信じ込んでいた。
阿呆か。そんな社会があるわけがない。
あのころは、絵を描くことだけが、描くということだと思っていた。
阿呆か。絵を描くことだけが、描くということではない。
描くことに加え、お金の確保、時間の確保、アトリエの確保、健康の維持、営業活動、展示企画、交渉。全てが自分の仕事である。描くこと以外のことを社会が担ってくれるわけがない。
そして、描くこと以外の時間も、実は描くことの一部なのである。
社会はただ、アウトプットのみを確認し、評価するだけである。
登竜門なんてただの入口でしかない。描くことも全ての仕事の一部でしかない。
そんな考えを塗り替えるための10年間だった。
日々、襲い掛かるあらゆる障害といかに共存し、継続するか。戦いのポイントはそこにあった。
日々、目の前に積まれた業務を片付けた後、残された時間は、ほんの小さな時間である。
その小さな時間をいかに有効に使うか。
ようやく手に入れたその小さな時間を、遊んでしまっては、先に進むことができない。
雨の日も、風の日も、たんたんと、こつこつと、絵筆を握り、隣人より少しでも多く前に進んでいきたい。
華やかに見える誘惑の数々に打ち勝ち、愚直に仕事を継続する。それだけである。
どこまで続けられるかはわからない。が願うのは死ぬ直前まで続ける。ということである。
そこに何が見えるか。それを見届けたいのである。□