僕らはいつ「知っている」と言えるのだろうか。
他人を見下して「彼はわかっていない。俺は知っている」という人間が、
はたして本当に知っているといえるのか。
何をもってして、自分は知っていると判断しているのだろうか。
あなたは神か。
「わたしはAを知っている」
「Aとはなんですか」
「Bのことだ」
「Bとはなんですか」
「Cのことだ」
「Cとはなんですか」
「・・・・」
そんな問答を繰り返したとしたら彼は一体どこまで答えられるのだろう。
きっとせいぜい10回にも届かず言葉に詰まることだろう。
知らないじゃないか。
知っているとは、100回でも1000回でも質疑に答えていける人間だけです。
つまり、僕らはおおむねほとんどのことを「知らない」のです。
それを、知っていると思い込む。人を抑え込むために。
それが、この世界をにごらせている元凶の一つなのだと思う。
「私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ」
哲学者のソクラテスも無知に気づいている。
ぼくたちは何も知らない。それを認めていきたいものです。
それで少しは世界はきれいになる。□