投入堂

 

投入堂に行きましょう!」

 

言いだしたのは、やっぱり僕でした。

鳥取の山奥、三徳山三佛寺奥の院である。

険しい山を1時間ほど登った先の崖、「大丈夫?落ちないの?」と心配するほど危うい崖の窪みに、お堂が差し込まれている。

これが国宝・投入堂である。

 

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地上に建てたお堂を、役行者(えんのぎょうしゃ)が法力で崖の窪みにエイヤと「投げ入れた」という伝説から「投入堂」という名で呼ばれるようになったようですが。

 まあ、それは伝説として。
一体だれが?どうやって?こんなところにお堂を立てたのだろう....?
誰もがそう思わざるを得ない、まさに伝説という言葉でしか、建立の経緯や手段に納得のいく説明ができないような、そんなお堂なのであります。

 

「日本一危ない国宝鑑賞」

 

記憶に鮮明にこびりつくような素晴らしいコピーがポスターに書かれています。

個人的には、これこそが僕にとっての今年の流行語大賞と言えなくもない。

「危険なんて言ったって、どうせ騒ぐほどのことでもないだろう」

行く前までそう思っていました。たかをくくってました。

西洋ならばまだしも、日本という国はなんだかんだで、転ばぬ先の杖というか、危険な場所があれば、入れないようにしたり、事前にふたをすることで事故を根絶やしにして、免責をとろうとする国民性があります。

事故が起こったとき、叩き潰されるほどに糾弾する国なので、観光地のどこでも、おのずと事故が起きる前に対応を徹底する、という対策をしがちです。
対して、海外では、むしろ「事故は起こしたやつの責任。自業自得」という考えで動くようなところがあって、危険な場所にも柵なんてないし、落ちたら自分のせいでしょというのが一般的のように思います。

だけど、ここ投入堂については、日本では稀有な西洋的な形態をとってます。
落ちたら死にますよ。と免責をいうだけの突き放した場所になってます。
誰が死んでもおかしくない、そういう危険があっての「日本一危ない国宝鑑賞」なのです。

 

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山に入ってすぐに「これはほんとうにまずい....!」と気が付きました。

冗談ではない。ほぼ90度ほどの急斜面、というかもはや崖を登っていくのです。

スケッチブックなど持ちながら登れる場所では、全くない。

両手は岩や木の根、さらには鎖をつかんで登るために空けておかなくては、とても登ってはいけない、そんな険しい道でした。

 

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道ではない。100%、崖です。

手をつかむところすらない岩場に鎖が打ち付けてあります。

そんな上に、お堂がひょっこりと建っているのです。

ほんとに、どうやって建てたんだと思わずにいられません。

しかも、この文殊堂でも投入堂まではまだ半分の距離なのです。

さらに奥の奥に、投入堂は建っているのです。

役行者が投げ入れたとでも言わないと、とても説明がつかないお堂です。

 

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中腹にある文殊堂は回廊のように外周を一周歩けるようになっていましたが、柵がありません。

落ちたら、さっきまで登ってきた「崖」をまっさかさまに落ちます。落ちたらたぶん、死にます。

素晴らしい絶景がはるか向こうにまで広がっているものの、足が震えました。腰をかがめて這うように一周しました。まさに命がけの拝観です。

 

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さらには、「鐘」です。

こんなに巨大な重い鐘をどうやってこんな険しい山の中に運び、鐘楼を建てたのか。

祈りというものへの狂信的な信念か、説明がつかない不思議な力が、人々の中に働いたのだとしか思えません。

 

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そんな険しい険しい山の上、登山開始から1時間、ついに投入堂にたどりついたのでした。

お堂の中には蔵王権現像が7体あったと聞きます。

その像は、麓の宝物館で拝観することができます。

2020年を象徴する、まさに命がけの国宝拝観ができました。

 

登山できない人のために、麓から投入堂を見上げることができる場所もありますが、できることなら、この「命がけで拝観する」という体験を全ての人に体感してもらいたいと思います。

体で知る、体で見る。そういうものが世界にあることを改めて思い知らされました。□