★高松紀行 その1

 

高松駅に降り立ったとき、なにも計画はなかった。

 

女木島に渡って鬼ヶ島の洞窟でも見学しようか、と思ったが、島に渡るには遅い。
島に渡るのならば、往路、見学、復路.....を考えると、時間には十分余裕をもって動かないと、戻って来られなくなる。

猪熊源一郎美術館に行こうかとも思った。
以前買った、愛用している頭上猫のコップが割れてしまったことが、まだ心に残っていて、もう1つ買いなおしたかったのだが、今どうしても、というわけではなかった。

 

四国村に行こう。と決めた。

訪れたことがなかったし、古い建築が好きである。
スケッチができるかもしれないし、これから制作する作品への情報収集ができるかもしれない。

高松から琴電に乗り、瓦町で乗り換えて、琴電屋島まで、ことこと向かう。
琴電屋島はかわいい駅である。駅舎もおしゃれだ。旅情に誘われ、気持ちが高ぶってくる。

 

 

来てよかったと思った。

四国村は、どこにでもあるような民家を集め、並べたような場所ではなく、四国の各地にかつてあった、独自の誇り高い文化を記録し、次なる世代に向けて新たな発展につなげていくための歴史的な楔である。

21戸に及ぶ個々の建築には、2つと同じものはなく、独自の文化的用途をもっていたことが丁寧に説明されている。

建築はどれもが丁寧に綺麗に管理され、守られ、屋内には今朝活けたであろう花や植物がきれいに飾られている。
村の中には、小さな人工の川が、さらさらと美しい音を立てて流れている。ツクツクホウシの蝉しぐれが、猛暑の中にも気持ちが良い。この村は生きている。

 

f:id:massy:20210723133918j:plain

まるでバリ島に来たかのような円筒形の建物がある。
砂糖小屋である。
円筒形にしたのは牛を中に入れてぐるぐると砂糖を引かせるためであるという。
なんという合理的な建築であろう。
そして出来上がった砂糖は、香川の代表的な和菓子である和三盆を生み出す。
先人たちの知恵や美学が今なお静かに感じられる美しい空間である。

 

f:id:massy:20210723134317j:plain

 

村の奥に進むと、2002年に建設された四国村ギャラリーが見えてくる。安藤忠雄氏の設計である。

コンクリートでできた建築の扉を開けると、冷気に満たされていて、猛暑を一時的に逃れた体がほっとする。
1階におかれた彫刻はさりげなく、ロダンである。まずここからすごい。
地下に降りると小さな横に長いギャラリーになっている。秘密基地を見つけたようなワクワクした気持ちになる。
ギャラリーの展示には何も期待を持たずに飛び込んだのだが、なんとそこには、ピカソモディリアーニの素描、フジタの小品、シャガールのタブローなど、とんでもない美術品が並べられている。
まさか四国村に来て、パリのモンパルナスの黄金期を彩るこれらの隠れた小品たちに出会うことができるなどとは全く思っていなかった。
いかに美術ファンであったとしても、ここ四国村に、おそらく総額にして数千万円に及ぶであろう歴史的な美術品が展示されているなど全く思いもしないだろう。
まさに、ここが香川県あらため、アート県であることを如実に表している。

さらに、ギャラリーを眺めた後に裏口を出ると現れる水景庭園の美しさ。
階段をとりまく植物たちと、流れていく水の音の美しさ。
まるでカリオストロの城のラストシーンを彷彿とさせるような美しい癒しの空間である。

 

f:id:massy:20210723142407j:plain

 

 

f:id:massy:20210723141436j:plain

 

 

f:id:massy:20210723143236j:plain

 

猪熊源一郎が、寄稿している文章には、まさに自分がこの四国村に来て感じた多くのことを語っており、ここは優れた美学を持った人が、作り、残し、今なおその理念が守られ、運営されている場所なのだということを再確認することができた。□