2020東京五輪

 

朝テレビをつけると、北島康介選手と嵐の櫻井翔君がスーツをびしっと決めて立っていた。

 

2020東京五輪が始まったのである。

 

こんなご時世で、本当にやるんか。やれるんか。

といった報道が連日続き、「絶対やります!」とは誰もはっきりとは宣言できず、なしくずし的に開幕を迎えて始まってしまったという感じである。

まるで、

毎日、母親に宿題しなさい。と言われ続けても、毎日こっそりと遊び続けて、提出の日になり、先生に叱られても提出せず、やがて先生が宿題のことすら忘れてしまうまで提出せず、しれっと逃げ切ってしまった小学生のような。

 

「始まってしまえば、こっちのもの」

神妙な顔をしながらも、心の中ではしめしめ。と考えている人間の思惑に踊らされているようで、ちょっぴり異論を唱えたい気持ちもありながらも、北島康介選手と櫻井翔君がNHKに現れ、これから始まる祭典への想いを熱く語ったりしているのを聞くと、やはり日本人である。
ふらふらとそちらの甘い水に誘われて、結局、連休中にテレビにかじりついて、「やった!金メダルだ!」などと騒ぎの渦中に入ってしまっている自分がいる。

 

東京で開催するということで、生で観られるというホスト国たる優位性は、無観客開催ということで完全に喪失してしまったのだが、もともと地方都市にいれば、テレビで見るしかないわけだし、海外の人間にしてみても、多くはテレビで見ることになる。
会場で見たい。というモチベーションを持ち合わせていない観客からすれば、いつものオリンピックと概ね変わりはないのである。

選手がコロナに感染して、辞退するなど、痛々しい事態も続くだろうが、おそらく終わってみたら「コロナ禍に立ち向かい、大会を乗り切った!万歳!!」などという、日本人臭い結末になるのではないだろうか。

 

騒いで、騒いで、騒いで、忘れる。

 

(自分も含めて)そういう日本人らしさが出るオリンピックになりそうだ。□