★嫌いは、嫌い。と言う結論。

 

「嫌いなことを、好きになるように努力する」

 

仕事などに取り組むときによく耳にするフレーズである。
好きな仕事を選ぶことはできない。嫌いを好きになっていかないといけない。
...........というような教えである。

が、最近そんな努力の多くは無駄なのではないか?と、気づき始めている。
これまでの人生を振り返って、いろいろなシーンで苦手なことや嫌いなことを好きになるよう努力をしてきたつもりだが、総じて苦手や嫌いが、好きに転じたという経験が全くない。
単に自分の努力が足りなかっただけかもしれないけれど、その自分にとって膨大に費やした時間を振り返って、それでもまだ時間をかける必要があるのか。という判断の岐路に立たされているような気がする。

結論として、もうやめろ。という声が聞こえてきている。
「好きなことを、さらにもっと好きになるように努力する」方が、余ッ程、充実した人生を過ごせたのではないか、と後悔が湧いてきている。

嫌いを好きに転じた人間が近くにいて、その姿を見るたびに、すごいと圧倒され、自分もそのような存在にならなくては、しがみつかなくては、と尻を叩いてきたのだが、もう限界かもしれない。

 

やっぱり、嫌いは嫌い。だった。

 

ただ、もともと自分にとって、「潜在的に興味があるけど自分では気づいていないもの」が、なんらかのきっかけで火がついて「好き」に気づけた経験ならばある。
例えば、日本酒だったり、美術品としての仏像鑑賞だったり、である。
だけど、これらを好きになるために、努力をした記憶はない。ある日、ふと自然に体に入ってきただけである。

嫌い苦手を好きになることに本当に意味はあるのか。

若い人にはがんばってほしいが、本音は、そんなに無理しないで、得意なこと好きなことを伸ばすことに時間をかけた方がいいぞ。と囁いてあげたい気持ちだ。

残されている時間も少なくなってきているように感じ始めた昨今、
もういいんじゃない?嫌いは嫌いで。...........はいけないのだろうか。□