「わくわくする」という体験が久しいように思う。
最近「あ、今、私、わくわくしている」って感じたことありますか。
・・・・・そういうことです。
あまり、わくわくしている状態を自覚するってないよね。
コロナ以前はもう少しあったような気がするけれど。
でも一体何にわくわくしていたのかがぼやけている。
環境が変わるなりして日常が忙しくなってしまって、わくわくすることに割く時間もなく、どんどん時間が流れて行ってしまっている。気づいたらわくわくが通り過ぎてしまっていたりもする。
わくわくって、一体何だろう。今改めて考えてみた。
1つ目は、
一カ月先だとか、数か月先だとか、ご褒美を少し先に置いておくとわくわくする。
例えば、美味しいものを食べに行く予定だったりとか、旅をする予定だったりとか。
それをマイルストーンのように置いて、日々の大変な仕事をこつこつこなしていく。
そして、時折そのマイルストーンを、まるで登山家がこれから目指す山頂を見上げるかのような気持ちで眺め、待つのである。
これが「わくわくする状態」なのだと思う。
2つ目は、
「目の前に広がる無限の可能性を秘めた時間」に、わくわくする。
例えば、「さあ!これから丸1日、自由時間だ。好きに過ごしていいんだ」というような時間がもらえたとき。目の前に広がっている可能性にやりたいこと、やれることを考え、並べている、準備しているときに、わくわくしている。自分にとっては、これが最もわくわくする時間かもしれない。
夏休み初日の早朝に、東京駅に到着した夜行バスから下車して、近くのカフェで朝食をとる時間。朝いちばんの珈琲とトーストやゆで卵を食べながら、手帳やノートを広げ、これからはじまる夏休みの宿題、すなわち美術館を巡ったり、友人に会ったり、旅の企画をたてたりする潤沢な時間。この計画ねりねりを、午前中をかけてじっくり、どっぷりとやるのだ。なんというわくわくだろうか。
考えてみると、確かにわくわくが久しくなったのは、こんな時間がコロナ禍で喪失されてしまったせいなのかもしれない。
では自宅から出られないということで、わくわくは本当に喪失してしまったのか。と考えると、100%そうでもなくて、
補足をすると、
自宅の愛用の机の上に、ビールや缶詰といった簡単なおつまみをひととおり用意して、PCの前に座り、
「さあ、じっくりとYoutubeやDマガジンを眺めよう」
「これからの計画を立てよう」
「もやまん。を描こう」
「エスキースを描こう」
「ブログを書こう」
.............というような時間ができたら、これもまた、わくわくなのかもしれない。
わくわくはどこにでも転がっているのだ、きっと。
この夏も、感染力43倍と言われるコロナを避けながら、自宅でわくわくを探していく。
時折、外にも出てわくわくをさがしていく。
そんな、夏休みが始まります。□