35年もの時間を経てあったクラスメートたちとは、
思い出話だけでも時間が足りないくらいかと思っていたのです。
けど、意外と、思い出話ができた後にそこで話題が止まってしまって、言葉がそれ以上出てこない。という間ができてしまうこともあった。
ああ、懐かしいね。
昔よく遊んだね。
昔よく怒られたね。
そうだったね。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・で?
みたいな。
今冷静になった後で振り返ってみたら、話すことはたくさんあったはずなのに。
それは35年にわたって海外で生活をしていて、突然日本に帰ってきて日本語で話すというときのように、言語が出てこない状態になっていた。
お互いが卒業以来別れた後、35年もあったわけだから、もうちょっと踏み込んでみたってよかったのだ。
今、どこに住んでいるの?
結婚はしているの?
お仕事の調子はどう?
コロナはどうだった?
体調はいかが?
もう少しひねって、
15歳の自分が思っていた自分と今の自分の差はどう?
なんて対話をしてみても良かった。
当時親睦があまりなくて記憶にあまり残っていない仲間もいたけれど、そんなのはお互い、はじめましてですが、これからよろしく。から入っていって、年上の人よりも年下の人が多くなってしまった今、同年代ということを貴重な仲間だと思って、今から話し始めて見ない?で、いいのだ。
・・・とまあ、そんな対話ができなかったことは、大いなる失態だった。
まあ、あの場で急にそこまでの柔軟性は自分には無かったのだから仕方がない。
他の人の会話に耳を傾けてみたっていい。どんな話で盛り上がっているか。を参考にしたら、また次の人に同じような話を展開できる。
個人対個人でやろうとするのも問題があったのかもしれない。
一人ではなくて、視界にいる全員に対して共通の、質問を持っていても良かった。
クリスペプラーが口約束のように「コロナでの音楽制作はどう?」と全員に聞いているように。
あれは多分、リスナーの誰もが最初に聞いてみたい「最大公約数質問」なんでしょうね。
みんなが聞きたい質問をまとめておく。それもいいかもしれない。
いろいろ経験できたこともあるので、楽しい密度の高い対話が、もしまた機会があるのならばやってみたいと思うのです。□