「学ぶ」とはなんだろう。その2

 

次に「学んだ」と記憶しているのは、3年間通った「パレットイラストスクール」である。

 

とても、もやもやしていた時期だったと思う。

思っていたほどの成果を出せずに叱られてばかりいた職場から逃げ出したくて、やっぱり自分は絵を描いて生きていく!なんていう自己暗示を強くかけて飛び込んだ。

 

京都の五条に教室があって、週末の土曜日に開講していたから、サラリーマンでも通うことができたのがすごくうれしかった。

そのころは何としても絵描きになって生活を安定させる、なんていう夢を持っていたから、まさに「がむしゃら」に描いた。

毎回違うイラストレーターが講師に来てくれて、いろいろな課題をだしてくれるのだが、初回講義の日から東京出張と重なっていて、業務を終えたのち、深夜に東京で課題を描いて、翌朝京都までもっていって講義に飛び込んだ記憶がある。
そのころのことを思い出すと今も楽しい気分になる。1枚1枚描くたびに夢に向かっているという手ごたえ(思い込み)もあって、本当にやりたいことに没入できている自分が楽しくて、嬉しくて仕方が無かったから、眠いとか苦しいとかは全くなかった。

このままいけば、何者かになれると信じていた。

 

で、突き詰めていくと、やはり「〆切」と「目的」がキーワードになる。

大学受験は、受験日という「〆切」があり、合格するという「目的」があった。

イラスト学校も、課題提出という「〆切」があり、最終的にはイラストレーターになるという「目的」があった。

「学ぶ」という行為を、前向きに、主体的に、積極的に受け入れ、行うことができるのは、「〆切」と「目的」があるからだと思う。(つづく)□